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死を前にしたソクラテスの最後のことば

プラトン『ソクラテスの弁明』を読む(6)裁判の帰趨

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
有罪の判決に続いて、量刑の票決が行われるが、ここでもソクラテスは裁判員を怒らせ、死刑の判決が下った。判決後に、ソクラテスは死を前にして愛弟子たちに最後のセリフを述べるが、それは納富信留氏いわく、「感動的なセリフ」で「それぞれの翻訳で非常に美しい文章」になっている。(全6話中第6話)
時間:14:07
収録日:2019/01/23
追加日:2019/05/26
タグ:
≪全文≫

●ソクラテスの弁明は通常とは逆の効果を裁判員に与えた


 ソクラテスが、自分の無実というか、少なくとも告発にあったようなことはやっていないということを、弁明する演説が続いているわけですが、今までお話ししてきたように、ソクラテスが言えば言うほど、どんどん逆効果になっています。人々、つまり裁判員の人たちが騒ぎ出します。ソクラテスは時々、この本の中で、「皆さん、騒がないでください。私の言うことを聞いてください」と言っています。

 当時の裁判員ももちろん、自覚を持って裁判にやってきますし、死刑の判決は重いものですので、通常から不真面目に裁判に出ていると思うのは誤解です。ですが、この裁判に限っては、ソクラテスがあまりにも通常の裁判と違うことを言うために、人々が怒り出したり、過剰な反応が起こってきている情景が、プラトンの文学的手法も込みで読み取れるのです。

 通常の裁判はどういうものかというと、だいたい被告の方は、どうか皆さん、私を許してください、誤解はあるかもしれませんとか、あるいは私には子どももいます、家族もいますとか、私はこれだけポリスに貢献してきました、というようなことを言って、許しを乞うというのが、普通訴えられた側がやっていることらしいのです。

 ソクラテスは全く反対です。最初の「皆さん」というところから始まったものを貫いてしまっています。それによって、最終的に最初の票決で有罪という結論が出てしまうわけです。500人ないし501人(いつも500ないし501人といっているのは制度が変わる時期で正確には分からないためですが)、彼らの過半数ということで、ソクラテスはわずか数十票差で有罪という判決を受けてしまいます。

 これも微妙なところだと思いますが、やはり普通に考えて神を敬わないとか若者を堕落させるなどという曖昧模糊とした、言いがかりに近いような罪で人を裁くということに対して、健全な判決であれば、それは無理でしょうということになると思いますが、ある意味ではソクラテスが言っている通りかもしれません。しかし、通常から哲学に対して向けられてきた、そういった誤解や憎悪というものがソクラテス裁判の中で出てしまったのかもしれないと思います。

 いずれにしても、それが1回目の判決で、その背景には先の回でお話ししたように政治的な背景もありますし、ソクラテスはそれについても触れてはいます。ですから、実際の裁判でソクラテスが言ったこともいろいろと入っている中で、このプラトンの『ソクラテスの弁明』という作品があるわけですが、事実と作品とを合わせてみると、前半部で弁明が終わった段階で有罪になりました。


●罰金刑か死刑かを選択する2回目の票決


 その次の段階は、今の日本の裁判とは違うところで、量刑をもう1回決めなくてはいけないのです。現在ですと裁判員や裁判所のプロの人で、これくらいであれば「執行猶予何年ですね」「実刑ですね」といったことを、だいたい相場で決めると思いますが、当時の完全な民主政では、もう1回、提案を行うのです。

 つまり、告発者の側は皆さんが有罪とした以上は、最初から死刑でしょうという提案です。これももちろん作品の中には書いてありませんが、そのように言いました。それに対してソクラテスは、それに代わる代替案を出さなくてはいけません。つまり、どのような刑罰を受けるかということです。

 刑罰の一番重いものは死刑ですが、その後は、追放、罰金、禁錮など何種類かあります。それを提案してもう1回投票するわけなので、ソクラテスがどの程度の提案をするかによって、ソクラテスの次の運命が決まるということになります。


●ソクラテスは迎賓館での食事を要求する


 ところが、その真ん中の部分、刑罰をめぐる議論というものがまさに、過剰の極みといいますか、驚くべきことになってしまうわけです。つまり、ソクラテスはどう言うかというと、自分に対する有罪判決は、自分が今までやってきたことに対する、いわば問われたことなので、私はポリスに貢献してきたのだから、ポリスに貢献してきた「罰」を受けるべきだ、と。ここでは罰と訳しましたが、実は必ずしも罰と訳す必要はなく、それに対する恩恵という意味です。そうすると、「この国家で、迎賓館において無料で食事する権利が自分にはあるはずだ」と信じられないことを言います。これは、例えばオリンピックの選手が優勝すると、あるいは外国の方がいつもそこに行くと、無料でディナーがいただける迎賓館があったということです。

 ソクラテスは自分が哲学を今までしてきたということの、国家としてのご褒美はそれだといいます。自分が有罪判決を受けた人間がそんなことをいったら終わりではないか、自殺行為ではないかと思うわけですが、ソクラテスはそんなことを言ってしまいます...
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