●現在の告発者ではなく古くからの告発者について述べる
ソクラテスは弁明を始めました。弁明、つまり自分が不敬神の罪には当たらないということを、ソクラテスは限られた時間の中で喋っていかなくてはいけません。ところが、非常に不思議なことが起こります。
一つ目の不思議なことは、シリーズの冒頭にもありましたが、真実ということをソクラテスが強調する点です。ソクラテスは始めのほうでこのように言います。
「さて、この人たちは、今言ったように、真実はほとんどなにも語りませんでしたが、あなた方は、私から真実のすべてを聞くことになります。」
「真実のすべて」とは何でしょうか。真実というのは、例えば「これこれは真実で、これこれは違う」ということですが、ソクラテスが言うのは、全部が真実、あるいは真実の全体像というものです。このような言い方自体、やや大げさに言っているのか、あるいは普通の意味での真実と違うのでしょうか。
そして、実際の真実とは何かを明かすソクラテスの弁明の仕方がとても変わっています。それは、現在この裁判で私ソクラテスを訴えている人たちに対して答えるのは後でも構わない、むしろもっと重要な問題がある、それは古くからの告発者である、という弁明をソクラテスが始めるということです。この裁判と全く関係ありません。何十年も昔から、名前も知れない人たちが自分を告発してきた。それに対して、弁明するのです。普通の裁判ではあり得ない、脱線のようなことが前半部で起こります。ただ、ソクラテスがそこで考える真実が込められています。
ソクラテスはなぜ訴えられたのでしょうか。それは、自分に「知者」(知識人)という名前が与えられたからです。いかがわしい知者がいて、神を敬わない行動を取って、若者を堕落させているという嫌疑がある。ソクラテスはそれに対して、ある意味ではあっさりと、自分は人々が言っているような者ではない、とまず退けます。自分は自然科学を探求するような自然学者ではないし、若者たちを教育するソフィストでもない。これは皆さん、ご存じですよね、と言います。
そうすると、ではソクラテスはなぜ裁判に至るような嫌疑をかけられているのでしょうか。そこが、真実というものの一番根っこにある部分だというのがソクラテスの語りの核心にあることです。