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「無知の知」はソクラテスの哲学ではない

プラトン『ソクラテスの弁明』を読む(4)不知の自覚

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
アポロンの命令によって人々と対話したソクラテスは、不知を自覚するという哲学を持っていた。これは「無知の知」という俗説とは似て全く非なるものである。対話相手の無知を暴く傲慢な人物ではなく、自分が知らないという謙虚さとともに、相手に教わりたいとの哲学者ソクラテスの新たな像が浮かび上がる。(全6話中第4話)
時間:11:43
収録日:2019/01/23
追加日:2019/05/08
タグ:
≪全文≫

●無知と不知とは異なった意味を持つ


 前回、ソクラテスが、神であるアポロンからのミッションとして何を哲学として遂行して、それがこの裁判にどのようにつながったかについての一番の骨組みをお伝えしました。そこで出てきた、ソクラテスが知らないということを自覚したということがソクラテス哲学の一番の基盤になりますので、そこについて補足的に再度、ご説明しようと思います。

 これを私は「不知の自覚」と呼んでいます。これは翻訳語の問題もあり、ギリシャ語の翻訳として日本語をどのように使うかということもあるのですが、不知とは「知らない」という意味です。無知というもう一つの単語と、私は実は訳し分けています。

 プラトンが二つのギリシャ語を使っており、無知のほうは、知らないのに知っていると思っている状態です。プラトンがいう、知らないのに「僕は知っているんだ」と勘違いしてしまっている状態のことを指す単語を、私は無知と訳しています。

 それに対して、ソクラテスのように、とにかくただ知らないということをいう場合に、無知と区別して不知という日本語を当てていますので、私の翻訳、あるいは私の話を聞いていただく方は、その二つの単語を使い分けている、とご理解ください。翻訳によっては必ずしも皆がそのように訳し分けているわけではないですし、通常は混同されてしまっている概念です。


●「無知の知」は誤ったソクラテス理解である


 ソクラテスは、それこそが自分のやった哲学の立場なのだということを強調するわけですが、これをどう理解すれば良いかというときに、日本人に親しまれてきた「無知の知」という標語を、少し批判的にご紹介すると、分かりやすいかと思います。

 皆さんもおそらく高校の教科書や、いろいろなところで、ソクラテスといえば「無知の知」と書いてあるものを読まれたと思います。しかし、ソクラテスはそんなことを言っているわけではなく、むしろそれは重要な誤解であるとご説明して、少しでも理解に近づいていただけたらと思います。

 「無知の知」というのは非常に聞き心地が良くて、かっこいいし、「ソクラテスといえば…」というようになっているので、世間一般に流布していますが、私は3つの根拠から、それはソクラテスの哲学ではない、と議論してきました。

 一つ目は文献学的な議論といいますか、実際にソクラテスはそんなことを言っていないということです。実は、『ソクラテスの弁明』という本が、今の不知や無知についての一番の典拠になっているところです。アポロン神託事件のところですが、そこでソクラテスがどのような言い方をしているかを、丹念に、丁寧に見る必要があると思います。一番典型的には次のような言い方をしています。ソクラテスがある政治家のところに行って、そこで吟味をする過程で、ソクラテスが自問自答する場面です。読み上げます。

「私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で。」

 このような言い方が何か所か出てきます(多少のバリエーションはありますが)。ここで重要なのは、無知の人、つまり自分は知っていると思い込んでしまっている普通の、多くの人々も、自分が知っているという思いを持っていることです。ソクラテスも、自分は知らないという思いを持っています。同じバランスが取れた表現が使われています。

 思いとは何かというと、知るということとは違います。知るというのは証拠もあり、きちんと真実を掴んでいて、いわば数学では証明のようなものです。それに対して、「僕はこうだよ」と思うというのが「思い」ということで、「知る」ということと「思う」ということをきちんと区別することが、ソクラテス、プラトンの哲学の何といっても一番肝心なところです。これを一緒にしては駄目です。私はこれが幸福だと思うよ、ということと、これが幸福だと知っているよ、ということは全然違うレベルのことです。

 それでいうと、ソクラテスは、私は善いとか正しいとか、そういったことが幸福だといったことについて知らないんだという場合に、それを、僕は知らないということを知ってるよ、と断言しているのではなく、知らないからその通り、「皆さんもまた知らないんですよ」と思って言っているだけなんですよ、それは他の人たちが「僕は知っているよ」と思っているのと同じような、思いという段階なのですよ、ということです。

 これは文献的な証拠というか、...
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