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裁判の冒頭でのソクラテスのセリフを読みとく

プラトン『ソクラテスの弁明』を読む(2)挑発を語る裁判

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
アテナイの裁判は、被告自身が自分の無実を述べなくてはならなかった。これを「弁明」という。壇上に立ったソクラテスは、裁判員に向かって、挑発とも取れるような弁明を始める。裁くものが、実は魂のレベルでどう生きるのかについて裁かれるという、異様な裁判なのである。(全6話中第2話)
時間:12:34
収録日:2019/01/23
追加日:2019/05/01
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≪全文≫

●アテナイの裁判は現在の裁判とは異なるものだった


 それでは、『ソクラテスの弁明』という、この本の内容に入っていきたいと思います。アテナイの裁判がどのようなものだったかということを、多少ご説明した方がいいでしょう。現在の裁判と似ているところと全く違うところがあります。

 アテナイは民主政なので、裁判はさまざまな犯罪や不正について市民が訴えを起こして審議を行うわけですが、告発する側と弁護する側がいるのは今と同じです。そして、それぞれの主張を繰り広げるという裁判ですが、実は検察や弁護士はいませんでした。つまり、告発した本人が登壇して、告発の理由を述べ、訴えられた被告本人が裁判で自分の弁護をするという、今ではちょっと信じられないような形式です。

 ということで、ソクラテスは自分が裁判にかけられるに当たって、メレトスやアニュトスという告発者が、まず裁判員に向かって告発理由を説明するわけです。本当に公平に、それと全く同じだけの時間がソクラテスにも割り振られ、ソクラテスは自分で自分の無実、潔白を証明する。それが弁明という形式です。

 ですから、私たちはプラトンの作品などでソクラテスの話(弁明)を読むわけですが、それに先立って、メレトスやアニュトスは、ソクラテスがいかにひどい人物で、いかに有害な人物かについて、それと同じ長さの演説をしたということで、(ソクラテスの弁明は)それを聞いた後だということをご理解いただく必要があると思います。

 つまり、私たちは片側の史料しか持っていないわけですが、もう片方の言い分も裁判員はまず聞いたということです。

 そして、この裁判では、双方の言い分を公平に聞いた後で500人ないし501人の裁判員がそれぞれ有罪か無罪かという投票をします。その結果、ソクラテスは有罪になってしまうわけですが、では刑罰はどうするのかということで、二度目の投票が行われます。もし無罪であれば一回で終わったのですが、そうではなかったので結果的に二度の投票が行われて、最終的に死刑になるということになります。

 この手続きは、完全に法に則ったものでした。不敬神の罪で訴える、予備審査をする、裁判をする、500人ないし501人の裁判員が投票するということで、全く法に従った、正当な裁判だったのです。この点も通常、誤解されています。ソクラテスの裁判はひどい裁判であった、場合によっては法にそぐわない、不法の裁判、悪法的な裁判であったと考える方もいますが、これは全く瑕疵のない裁判です。

 したがって、ソクラテスはそのような裁判で、法律に則って自分に死刑判決が下った以上、自分は逃げることなく死刑を受け入れるという決断をするわけです。この点も誤解のないようにしていただきたいと思います。

 「悪法も法なり」という言い方が流布していますが、あれは全く根拠のないことで、ソクラテスはそういうことは言っていませんし、ソクラテスの精神とも反します。悪法ではなく、法律自体の問題でもないということです。現在から考えると、裁判員のその時の判断がやや不合理ということになるでしょうし、ソクラテスもそのように受け取っていました。


●冒頭でソクラテスは「害を受ける」と述べる


 さて、『ソクラテスの弁明』はそれなりに長い作品ですが、ソクラテスはまず、告発側の告発を受けて、自分が弁護をします。500人に向かってしゃべるのは結構大変なことで、少し高い舞台の上に立って(登壇して)、肉声で語りかけます。この本はもちろんプラトンが再構成した、と申しましたが、どのようにソクラテスが語った、とプラトンが描いているのかを見るためには、冒頭のセリフがなんといっても重要だと考えます。翻訳で読み上げます。

「アテナイの皆さん、皆さんが私の告発者たちによってどんな目にあわれたか、私は知りません。ですが、私のほうは、あの人たちのおかげであやうく自分自身を忘れるところでした。それほど説得力をもって、彼らは語ったのです。しかし真実は、あの人たちは、いわば何一つ語りませんでした。」

 ソクラテスの開口一番のセリフは、今いった感じです。アテナイの皆さん、私の前にしゃべったあの人たちはあまりにも説得力があったので、私は我を忘れてしまうようでした。これを皮肉と受け取るか、素朴に褒めていると思うか(褒めるというのは少しおかしいですが)、そのような言い方から始めています。非常にレトリカルに聞こえる文章ですが、実は、この最初の部分にソクラテスの意図が込められていると私は解釈しています。

 最初の一行で、従来の翻訳は、日本語訳でも外国語訳でも、ほぼ違う訳し方をしていました。「皆さんがあの告発者たちによってどのような印象を受けられていたのか」と訳していました。私は、少々きつい言い方で、「どんな目にあっていたの...
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