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洋の東西で大きく違う、庶民の娯楽への為政者の関わり方

江戸とローマ~花見と剣闘士(7)庶民のリテラシーと為政者の関わり方

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
江戸とローマの共通点である庶民のゆとりは、高いリテラシーに結びついた。江戸の識字率の高さは貸本屋の数にも表れているが、ローマ時代は紙の本が出現する前であるにもかかわらず、落書きなどから庶民のレベルの高さを確認できる。一方、両者の違いは為政者が庶民の娯楽にどう関わったかという点にある。(全7話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:35
収録日:2021/05/24
追加日:2021/12/27
≪全文≫

●経済力は読み書き能力と直結している


―― ここまで、古代ローマと江戸の文化の比較というお話をいろいろしてまいりましたが、共通する部分と興味深い違いについては、先生はどのようにお考えですか。

本村 やはり共通する部分は、庶民がこういうものを楽しむ時間的余裕があったということです。ローマと江戸がそれだけ平和で、安泰な時代が長期にわたって続いていたということ。

 それから、特に江戸とローマという大都市部にたくさんの人間が集まっていた。だから一人で楽しむだけでなく、競ったりしながらみんなで楽しめた。それだけの賑やかな空間があったということが、共通していえることだと思います。

―― 庶民の経済力についていうと、江戸では貨幣経済や商品経済が発達してきて、町民階級のほうがむしろ金回りがよいケースも出てきます。そこが庶民の文化と結びつく。歌舞伎など、まさに公がまったく関与せず、むしろ弾圧の対象にしていたにもかかわらず、ずっと栄えていった一つの要因はそこにあると思います。

 ローマの場合、いわゆる庶民の生活水準なり経済水準というのは、どういうイメージだったでしょうか。

本村 前近代社会を見ていくと、極端な話、古代から産業革命までの中で一番生活レベルが高かったのは(古代)ローマではないかといわれているほどです。

―― ああ、なるほど。

本村 西ヨーロッパ自体、ローマ帝国の衰退以降はどんどん落ち込んでいきます。それが端的に出ているのは、読み書き能力がどんどん衰えていく点です。

 中世の王様などというのは、ほとんど文字が書けなかった。書かなくても、誰かが口述筆記してくれることもあったでしょうけれどもね。かたやローマの元老院貴族たるもの。文字が読めないなどというと一大事で、彼らのほとんどはギリシア語も読めたわけです。

 それも単に上流階級だけではなく、庶民レベルまで含めた読み書き能力に端的に表れるのは、やはり生活水準が高かったことです。そのため、極端な説では、ローマの後に一旦落ちた水準が産業革命の時期までずっと戻らなかったといわれるほどの高いレベルだったわけです。

 江戸の場合も、貸本屋が江戸の町におよそ600軒あったとよくいわれますから、読み書き能力こそ経済力を反映する一つの指標になるのではないかと思います。そのことが一つの下地となって、日本は欧米諸国植民地にならずに、うまく近代化をやり遂げていったのだろうと思います。


●紙の本がなくても読み書きができたローマ人


―― 読み書き能力の共通点という話を少し深めると、江戸では庶民向けの本などもずいぶん出ます。いわゆる「読売」のような新聞の前身が出てきたり、浮世絵はブロマイドの原型として広く流通したりした、という形になります。ローマの社会においては、庶民が実際読んだり買ったりするものというのは、どういう状況だったのでしょうか。

本村 彼らの場合はペーパーがない時代だったので、和紙が多用された江戸と比べることはできません。実際に「本」のような形で出回ること自体が限られていたと思います。

 ただ、朗読会のような催しはしょっちゅう開かれ、希少な本が一つ手に入ったときに、誰かがみんなに読み聞かせる機会になっていました。それは、文字が読めないからではなく、入手できる本自体が限られていたからです。本の中身は、そういう形で普及していったのだろうと思います。

 それから、幸いなことに、落書きのようなものがたくさん残っています。そういうものを見ると、やはり相当なレベルで読み書きができたのだなということが分かりますね。

 だから、江戸もそうだけれども、それより1500年ほどの前の話として、前近代社会の中ではローマのリテラシーは非常に高いレベルにあったのではないかと思いますね。


●スペクタクルに対する捉え方の違い


―― もう一方で、江戸とローマの違いとして興味深い点は、どういうところでしょうか。

本村 ローマは大々的な戦車競走が象徴するように、スペクタクルで活動的な感じがします。この戦車競走も相当危なくて、4頭立ての馬に引かれて戦車が走るわけですから、ケガも多かったし、場合によっては死者が出ることもありました。

 剣闘士興行にいたっては、必ずしも負けた相手が死ぬわけではないけれど常に流血のつきまとうもので、見世物としての見ごたえは非常に大きかったわけです。

 日本はそういう方向には行かなくて、花鳥風月を愛でたり、四季折々のちょっとしたものを楽しみながら、集まった人が弁当を食べたりする場所として愛された。それは当時、生活に余裕が出てきたからかもしれません。歌舞伎にしても、派手さなどは競ったかもしれないし、それを楽しんだかもしれないけれども、西側のローマにあったようなスペクタクルについては、...
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