●ギリシア時代の劇場を改造して闘技場にしたローマ人
本村 ローマ帝国の東のほうはギリシア文化が根づいているところで、ギリシア人が生活していた古い時期から劇場が発達していました。しかし、ローマ時代になると、ローマ人はあまり観劇を好まず、特にギリシア悲劇のようなものは好きではなかったので、だんだん興行されなくなります。
(悲劇を)好まないと言いましたが、なかったわけではありません。ローマ人の好きなコメディと比較すると、楽しむ人が少ないという感じですね。
―― なるほど。
本村 中心は「ローマ喜劇」といっていいかと思いますが、それでもギリシア人が楽しんだような形で劇場を楽しんだわけではありません。ローマ帝国の中に編入されていくにしたがって、だんだん剣闘士興行がギリシアでも盛んになってくるのです。
劇場は半円形ですが、下半分のところは本来なら身分の高い人たちが観るような場所に充てられていました。そこをつぶしてしまって、剣闘士興行の場所にしてしまうようになっていきます。
―― 劇場を、ですか。
本村 はい。それははっきり分かります。スタンドが始まるところの壁が高くなってきていて、改装されているのが分かる。今、ギリシア世界の全土に残っている劇場を見ると、ほとんどがローマ時代に入ってそういう改良を施されたものです。本当にかわいそうなぐらい、ギリシア人のオリジナルな形が残っていません。
東の方ではそういう形で利用されたのではないかといわれています。西のほうでは、ローマ人が入り込んでいく先々でそういうものを最初から造っていく。そういう形で、とにかく少なくとも300以上のものがあったといわれています。
―― 時代によって違うだろうと思いますけれども、戦車競走や剣闘士興行の開催頻度というのはどのくらいだったのでしょうか。
本村 はっきりしたことは分かりませんが、シーズンは春と秋です。真夏と冬の期間は、剣闘士はほとんど行われませんでした。
戦車競走が行われる場合、それは大都市部ですし、剣闘士に比べれば大掛かりなものですから、年に数回の開催だと思います。多くても年に十何回、ただし行うとなれば3日か4日はまとめてやったのだと思います。
そういう日は祝日になっているわけです。それが極端なことになったのが紀元2世紀のマルクス・アルレリウスのときで、「祝日をもうこれ以...