●江戸の書物は買えば5万円、借りると500円?
―― (写本中心のローマと比べると)日本の場合は、江戸ですから時代がずいぶん下ることもありますが、木版印刷があったり、あとは貸本屋という本を貸す商売がありました。貸本屋の値段を少し調べてみると、だいたい新本が一巻で24文で、現代の貨幣価値に換算すると480円ぐらい、古本の場合は16文、320円ぐらいが相場だったということです(出典は丸太勲氏『江戸の卵は一個四〇〇円!』光文社知恵の森文庫)。
買うとどのぐらいするかというと、これは時代が少し前になるようですが、井原西鶴の『好色一代男』が銀25匁で、現代の貨幣価値にすると5万円ぐらいかかりました。たぶん本によって幅があるだろうと思うのですが、買うと5万円なのであれば、400円か500円ぐらいで借りて読んでしまおうという発想になってくるのでしょう。
ですから、黙読しているかどうかは別として、江戸になってくると日本人のほうが文字の文化で情報を楽しむというイメージになってくるわけですね。
本村 日本に和紙があったことも、(本が普及した)理由の一つかもしれませんね。和紙は、本として綴じるのに便利なものでした。ローマ時代には、パピルスはあっても、羊皮紙などを中心に使っていました。そうなると、それなりに費用もかかるし、ひと巻きの中にどのぐらいの量が収まるかということもあります。
持ち運ぶのも困難ですから、むしろ図書館で必要なところだけ見るような形にならざるを得なかった。日本では、今でも残っていますが、江戸時代頃になると、和紙に書かれたものが出てきて、持ち運びが便利になったこともあるのではないかと思います。
●ヨーロッパの羊皮紙本と修正写本
―― 今でもヨーロッパの図書館では昔の羊皮紙でつくられた本が残っているようですね。あれは主に図書館の大きな書見台で開いて見る、非常に大きくて重いものというイメージがありますが、ローマ時代ではああいう本の形は取らなかったのでしょうか。本はどういう形で置かれていたのですか。
本村 それは時代によって少しずつ違います。羊皮紙の巻物もあれば、ある程度本の形にして見るようになったりもしました。羊皮紙のままよりも、そちらのほうが読みやすいことがだんだん分かってきて、そうなったのではないでしょうか。羊皮紙の巻物は、それなりのところへずっと広げておかないと駄目ですからね。
―― そういうことですね。先生は、実際に羊皮紙の本などを、西洋の図書館でご覧になったご経験はどうでしょうか。
本村 いや、それは展示されているものは見ましたし、自分の必要なレベルではマイクロフィルムに撮ってもらいもしました。
フィレンツェの図書館に12世紀ぐらいのタキトゥスの写本があり、その中に有名なキリスト教徒迫害があります。その中にちょっとした修正が施されているというので、その跡がどのぐらい確かめられるかと思って、お願いしたのです。
それで見ると、実際に修正された跡が明らかに出ていました。それは、ネロ帝の時代のローマ大火事件の時に、結局誰が本当に動いていたのかという、非常に大きな解釈の問題と絡んでくるのです。
―― (なるほど。ところで、)本の修正は、どうやってするのですか。何か上から貼り付けるのですか。
本村 いやいや、消したり、たぶん削ったりしていますね。よく見れば、明らかに分かりますよ。
私がフィレンツェのタキトゥスの『年代記』の写本(のマイクロフィルム)を撮ってもらったのは、「キリスト教徒が犯人だ」というときに、どうもキリストのところを「クリストス」と書かなきゃいけないのに、(もともとは)「クレストス」と書いてあるのではないかというのです。「クレストス」(の綴り)を「i」に書き直して、「クリストス」に直した、と。
これは「e」と「i」の間違いじゃないかとお思いかもしれませんが、実際にその時代のタキトゥスやスエトニウスの文献を読んでいると、ローマにユダヤ人でクレストスという名前の人物がいて、どうもしょっちゅう騒動を起こしている。
だから、一つの考え方として、「ローマの大火はキリスト教徒がやった」ということになっているけれども、元の写本に遡っていくと、どうも「クレストス」と書いてあったのを、(後の言い伝えではキリスト教徒が迫害されたということになっているので)タキトゥスの写本を直したのではないかというのです。
だからすごく重要な点は、「e」が「i」に変えられているとしたら、それは単なる間違いだったのか。あるいは、本当はクレストス一派、つまりユダヤ人の騒動一派が起こしたことを、後の人たちがキリスト教徒に当てはめようとして、つまりローマ帝国...