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カラカラ浴場、トラヤヌス浴場…そこにローマの図書館が!

江戸とローマ~図書館と貸本屋(3)写本と朗読

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
当時のカラカラ浴場(古代ローマのカラカラ帝がつくった大浴場)の内部の想像図
出典:Wikimedia Commons
古代ローマの高い識字率は、残念ながら中世ヨーロッパには受け継がれなかった。それだけ古代ローマは余裕のある時代だったということだ。活版印刷がない時代ゆえ、写本で文字を読むわけだが、少部数しか流通しない写本は朗読や図書館で主に音として伝えられた。一方、時代は下るが、江戸期の木版印刷は特殊な文化といえる。(全5話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:48
収録日:2021/06/16
追加日:2022/07/10
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≪全文≫

●ローマの読み書き能力を受け継がなかった中世


本村 それ(古代ローマ)と比較すると、中世はずいぶん劣って、王侯貴族でさえあまり読み書きができなかったといわれています。たった20数文字しかないのに、です。王侯貴族の中に「俺は読み書きができる」とアピールしている人もいたぐらいで、逆にできない人が多かった。

 彼らは、もともと言葉は音だという意識が強かったのでしょうか。殿様であっても誰かが本を読んでくれれば、それでいいのです。そういう人々がいるから、読みたければ読んでくれるし、書きたい言葉は書き留めてくれる。そのような、比較的専門の読み書きができる者たちがいたため、中世ヨーロッパは結局それで通ってきました。

 ルネッサンス期に入るとまた別で、やはり活版印刷ができたことが非常に大きな転換期になると思います。それまでは修道院の人々を中心に読み書きが独占され、ローマ時代と比べると、王侯貴族も庶民レベルもガタッと落ちるような状況でした。

 そういう中にあって、ローマ時代の貴族はもちろん読み書きができ、ギリシア語までできたというのは、卓越したことです。カエサルなどにしても、みんなギリシア語を話したり読んだりしていたわけです。もちろん得意・不得意はあったでしょうが、われわれの時代でいえば、英語がある程度できることが一つの素養になっているのと同じようなレベルのことです。

 そのようなことは中世ヨーロッパにはなかったと思います。古代のほうがむしろできたということで、それは文化レベルが中世ヨーロッパより古代で高く、それだけの余裕があったことの一つの証だったといえるのではないかと思います。


●音声の比重が高かった欧米の言語


―― 中世の場合、識字率が低かったからこそ、例えば教会の神父様の説教ともいえるお話を毎週日曜日にそこへ行って聞くということで、そういった世界というのは、劇を観たり朗読会に行って内容を知ったりするのと同じように、文字が分からなくてもその話が理解できるということですね。

本村 それは、そうです。教会のステンドグラスなどには、イエスの物語や聖人君子にまつわるものが多数あります。誰かがそれを読み解いて話して聞かせ、それを有難がる。そのように、欧米の言語は基本的に音声の比重が非常に高いような気がします。

―― そのように、識字率が高くないことを前提に作られた社会だったわけですね。もちろん日本でもお寺での説法会があったりするのは、同様の前提があってのことになるのでしょうが、一方で江戸時代に入ると、本なども広く読まれるようになります。「読売」も売られるようになり、文字で情報が入るケースが増えてくるわけです。ローマの場合、それぞれが文字で情報を手に入れる手段には、どういうものがあったのでしょうか。

本村 活版印刷がない時代ですから、それは写本です。写本というのは、引き写していくわけです。誰か、例えばキケロが何かを書いたとして、彼の書いたものが一つあって、みんなが読むに値するといわれると、誰かが朗読して、それを何人かの人が引き写していく。それをまた誰かが引き写していくという形で残っていきます。写本ですから、数は知れています。

―― それは必然的にそうですね。江戸の場合は版木で文字を彫る木版印刷がありましたが、写本では数が限られてしまう。そうなると、皆さんが読むのは、どのようにして読むのでしょうか。

本村 一つは朗読です。朗読会がかなり盛んだったという話が、ローマにはあります。


●日本で木版印刷が普及した理由


本村 日本の木版は、印刷博物館に(いろいろな成果が残されていますが、)かなり面白いですね。実は日本には江戸になるかならない頃に活版印刷が入ってくるのですが、普及せずに木版になったという歴史があります。

 一つには、活版はアルファベットですから、二十数文字を組み合わせればできた。しかし、日本にはいろいろな文字があるから(普及せず)、それで結局、江戸時代を通じてほとんど木版印刷が用いられ、有名な『里見八犬伝』のようなものもその方法で刷られました。そのため、ヨーロッパの写本に比べれば数はたくさんできたのです。

 日本で活版印刷が盛んになるのは、結局明治になってからです。明治政府の指導で盛んになり、文字(書体)もたくさんできるようになります。一昔前にワープロがはやるまでは、いろいろな印刷所にそれができる(活字を拾う)専門家がいて、何千文字とある原稿をパッパ、パッパと処理していたわけです。

 活版のない時代の日本では、木版のほうが漢字などの表現方法も多彩になったため、江戸時代を通じて流行しました。非常に特異な文化だともいえそうですね。

―― 当時の木版の本を見ると、崩し字的なものを用いたりして、レイアウト的にもそのよさ...
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