●ローマの読み書き能力を受け継がなかった中世
本村 それ(古代ローマ)と比較すると、中世はずいぶん劣って、王侯貴族でさえあまり読み書きができなかったといわれています。たった20数文字しかないのに、です。王侯貴族の中に「俺は読み書きができる」とアピールしている人もいたぐらいで、逆にできない人が多かった。
彼らは、もともと言葉は音だという意識が強かったのでしょうか。殿様であっても誰かが本を読んでくれれば、それでいいのです。そういう人々がいるから、読みたければ読んでくれるし、書きたい言葉は書き留めてくれる。そのような、比較的専門の読み書きができる者たちがいたため、中世ヨーロッパは結局それで通ってきました。
ルネッサンス期に入るとまた別で、やはり活版印刷ができたことが非常に大きな転換期になると思います。それまでは修道院の人々を中心に読み書きが独占され、ローマ時代と比べると、王侯貴族も庶民レベルもガタッと落ちるような状況でした。
そういう中にあって、ローマ時代の貴族はもちろん読み書きができ、ギリシア語までできたというのは、卓越したことです。カエサルなどにしても、みんなギリシア語を話したり読んだりしていたわけです。もちろん得意・不得意はあったでしょうが、われわれの時代でいえば、英語がある程度できることが一つの素養になっているのと同じようなレベルのことです。
そのようなことは中世ヨーロッパにはなかったと思います。古代のほうがむしろできたということで、それは文化レベルが中世ヨーロッパより古代で高く、それだけの余裕があったことの一つの証だったといえるのではないかと思います。
●音声の比重が高かった欧米の言語
―― 中世の場合、識字率が低かったからこそ、例えば教会の神父様の説教ともいえるお話を毎週日曜日にそこへ行って聞くということで、そういった世界というのは、劇を観たり朗読会に行って内容を知ったりするのと同じように、文字が分からなくてもその話が理解できるということですね。
本村 それは、そうです。教会のステンドグラスなどには、イエスの物語や聖人君子にまつわるものが多数あります。誰かがそれを読み解いて話して聞かせ、それを有難がる。そのように、欧米の言語は基本的に音声の比重が非常に高いような気がします。
―― そのように、識字率が高くないことを前提に作られた...