●ローマ人が文字を学んだ動機
―― 前回は、ローマでも街の四つ角で文字を教える塾のようなものがあったというお話でした。江戸もそうですが、例えば庶民の階層はなぜそういうものを子どもに受けさせたのか。そういう素養を持っていると、一つは立身出世につながる。あるいはそれこそ俳句や狂歌、川柳などのエンタテインメントも、そういうものがないと楽しめない。そのようにいろいろな動機があると思うのですが、ローマにおいて文字を学ぼうという動機は何が支えていたと思われますか。
本村 他の時代に比べて、一つはアルファベットというのが非常に分かりやすくて、20数文字を覚えればいいわけです。逆にいえば、日本のように漢字があったりするのになぜ識字率が高いかというのは、また別の問題になってきます。
これは、多分ヨーロッパ各地の国民にとって(今でもその差はあるでしょうが)、言葉は音だと思います。
当たり前のことですが、人間は最初から文字を書けるわけではないし、読めるわけでもない。本来言葉というのは音であるはずです。だから、音である言葉で相手に対して自分の気持ちをきちんと伝え、相手の言っていることを正しく理解する。これはヨーロッパあるいはアルファベット圏のどこにおいてもあり得ることです。
ローマの場合は広い地域を征服して、長い間にいろいろな人が集まってきたので、その中での立身出世はもちろんあります。非ローマ人、すなわちラテン語ができないローマ居住者の場合、ラテン語を学ぶことはありました。
しかし、いわゆるローマ人、音としてのラテン語は分かっている人々が文字に書き留める方法を学ぶのは、立身出世というほどではなくても、安定した職業つまり公務員になる、さらに、それは兵士になるためにも非常に重要でした。
兵士として集まってくるのは必ずしもラテン語のネイティブスピーカーだけではなく、いろいろな人がいますから、どこかで筆談が必要な場面が出てきます。いろいろな国民やいろいろな言語を話す人間がいる中で、ローマ人はいわば必要に迫られてそういう読み書き能力が少し他よりも高まるという潜在的なものがあったのではないかと思います。
●古代ローマでは男性の50パーセント以上が読み書きできた
―― それでは、実際にどのぐらい識字率が高かったかというところですが、データとしてはどういうものでしょうか。
本村 識字率というと、みな一番知りたがるのが、何割の人が読み書ができたのかということです。しかし、今の21世紀の段階で識字率を測るときに、どういう尺度を使用するのかという問題があります。例えば「新聞をスラスラ読める」という指標がありますが、新聞を読むのが面倒くさくてしょうがない人たちは現在でもいるわけです。高校を卒業して読み書きができるのに、読むのすら煩わしくてしょうがないというような人ですね。
―― また、「読める」と「意味が分かる」は違いますよね。
本村 そうですよね。日本語の意味は、読めばなんとなく分かったような気になるところがありますが、それを「書く」場合はもっと大変な作業になります。そのときにはどんな指標を使うのか。極端な場合は自分の名前が書ければそれで書く能力はオーケーだという考え方もあるし、読み書きという形になると、いろいろレベルに差があるわけです。高校卒業レベルで測るときに、どれぐらいの人がどの程度できるかは、それこそ千差万別です。
しかし、そこはあまり深刻なことにしないで、新聞が軽く読めたり、文字があるから漫画でもいいことにすれば、それが読めるレベルといえば、今はほとんど99パーセントぐらいまではできるわけです。そのレベルで考えたとき、ローマの場合、特に男性では50パーセント以上読み書きができたといわれていました。
ところが、アナール派などの影響があって、リテラシーというものを漠然と考えるのではなく、いろいろな史料を詰めながら、もっと深刻で真剣に考えなければいけないことが分かってきました。
ローマの場合は、ポンペイにグラフィティが残っていますから、非常に有力な証拠になります。他の所にももちろんあったはずですが、残っていない。何もなかったというのではなく、後世に残っていないというだけの話です。
●落書きの誤字脱字でローマ人のリテラシーがわかる
本村 さらに、ローマの場合は、有名な作家などの書いたものがあります。ウェルギリウスの有名な「アエネイス」の詩などですが、そういうものを落書きで書いていた人もいます。それが意外に正確に書かれていたため、こういう人たちは読むのもできたし、書くのも正確なレベルでできたという一つの証拠になります。
しかし、普通の落書きになると、その正確さはなくなってしまいます。先ほどから言っているように、彼らにとっ...