●江戸になぞらえると「文化・文政」のような現代社会
── このシリーズでは、(ローマと江戸文明の)勃興から、興隆期にどういう長続きするしくみをつくったか。それから衰退の理由についてお聞きしてきました。最後になりますので、戦後の日本について語っていただこうと思います。さて、今の日本の状況ですが、ローマや江戸でははたしてどういうところになるのか、ぜひお聞きできればと思っています。
まず中村先生、戦後の日本ですが、江戸でいえば、どういう位置づけになるとお考えでしょうか。
中村 政権が弱くて、きちんとリーダーシップを取れる人がリードする世の中ではないということですね。しかし、議論だけは何を言っても罰せられることがない。一種の百花斉放の時代である、と。しかし、わざわざ活字化することもないような議論までがネットで語られる、無駄な鉄砲を空撃ちしているような、何か騒がしい世の中です。江戸時代でいうと、「文化・文政」に当たるのかという気がします。
それは、徳川家斉が大御所で、子どもを5、60人もつくって、何が何だか分からない時代です。軽佻浮薄な文化で、享楽的な雰囲気が江戸の町に立ちこめていた。まだ黒船が来る前ののんきな時代とはいえ、一つの文化の退廃的な雰囲気が始まり、次の時代を予感させつつあった。何か、そのあたりが似ているのかと思います。
黒船のような国家・国民共通の敵みたいなものが現れると、国民は一つにまとまりやすいですよね。
── 思えば、文化文政から幕末は、意外に短いんですね。
中村 そうですね。
── ということは、社会がそれだけ急展開する可能性ももちろんあるということですね。
中村 「黒船」がいつか来るとは思っていない時代ののんきさというものが、この時代にはあったんでしょうね。
●古代ローマや江戸にはなかった「少子化問題」をどう考えるべきか
── 本村先生、ローマの流れから見るといかがですか。
本村 現代日本の話になると、規模が違うからなかなか比較が難しい。ただ、私は、21世紀の日本の一番大きな問題は、少子化の問題だと思っているんです。なぜかというと、年金の問題も一つあるし、労働力の問題も一つある。それから、意外とみんなが気づいていないのは、国防の問題です。誰がその担い手になるのかといったときに、少子化で子どもが少なくなっていくと、そういう問題も起こってくる。つまり、あらゆる問題の根本に関わる問題なのに、どうもそれほど真剣に取り組んでいるとは思えない気が私はしています。
なぜかというと、たぶん選挙に結びつかないからではないでしょうか。私には子どもはいないけれど、周りを見ていると、やはりお母さんたちの労苦は大変なものです。私たちの時代は小学校に入る前から放ったらかしで遊ばせていたが、今は学校まで送り迎えしなくちゃいけないというような時代になっている。そういう複雑な時代になっている分、相当な労力がかかっているわけです。
だから、教育無償化のような小手先だけでごまかすんじゃなくて、もっと全体的に取り組まなきゃいけない問題なのに、あまりにもそれに気がつかない人たちが多いのではないか。これは私だけじゃなくて、エマニュエル・トッドというフランスの非常に高名な社会学者が、日本最大の問題として指摘しています。彼は歴史人口学をやっていて、特に少子化問題に詳しい。おそらく中国なども後の時代で起こるだろう事態に、日本は世界史の中で先駆けて遭遇している。どのように舵取りしていくかが大きな問題なのに、どうもそういうところに政治家の関心があまり向かっていない気がします。
これから人口を増やすことはできないと思うんですよ。だけど、日本の人口が1億人を超えたのが東京オリンピックの後、昭和四十年台の頃です。今が約1億2000万人だから、例えば1億人を一つの目途にして、これ以上は減らさないようにしようとか、そこのところをもう少しきめ細かくやるようなシステムができなければいけなかったけれども、残念ながら世界史の中では、これまで少子化が問題になるということがなかったわけですよね。
── ローマも江戸も、別に少子化したというわけではないわけですね。
本村 だから、その例にはなりませんけどね。
── なんとなく、いま少子化の話を聞いていると、江戸にせよ、ローマにせよ、例えば街道を整備するとかエンターテイメントを整備するとか、人々が楽しくなるような仕組みをきちんと整備して国を整え、発展させる礎を築いたということを考えると、もしかすると、少子化問題についても、何らかそういういい知恵があるのかもしれないですね。
本村 残念ながら、ローマにその知恵はなかったでしょう。あの時代は実に乳幼児死亡率が高いですからね。とにかくたくさん産んで、ある年齢まで生...