●エヴェルジェティズム~持てる者が社会に還元する~
―― 江戸は元来海沿いの土地ばかりだったので、中心部では井戸を掘っても塩水ばかりが出てきてしまう。しょうがないので玉川上水を引く、ということになりました。そうしたインフラ整備は為政者として当然なすべきことだったでしょう。
各藩でも、例えば伊達政宗が(北上川の)水路を整備したなど、いろいろな話があります。基本的には水路整備をどうするか、暴れ川をどのように付け替えるかといったあたりが、名君の条件としてうたわれるところになります。
ローマではどうでしょう。例えば水道を引いた皇帝が名君といわれたりしたことはあったのでしょうか。
本村 こうした社会資本については、ローマでは皇帝が出てくるような時代にはもうほとんど整備を終えていました。アウグストゥスと、その少し後に最後の水道橋ができているぐらいで、ほとんどは共和政期に整えられていたわけです。
それは、お金持ちには「持てる者はなんらかの形で社会に還元しなければいけない」という行動原理があったからです。
「エヴェルジェティズム(evergetism、恵与行為)」という言葉がありますが、持てる者が自分だけで抱え込んでいるのはよくないという意識のことです。
特にローマ時代というのは極端に豊かになってきたために、持っている人間は驚くほど持っている。それを独り占めにしないで還元するというのは、「サーカス」の見世物もそうだし、「パン」のほうの食料供給もそうです。公衆浴場、水道橋、道路の建設のようなものに対しても、国家が行うというよりもむしろ富裕者階層が進んでそれらを担う時代が長く続いたわけです。
●ヘイドリアン・ルネッサンス
本村 ところが、それがだんだん廃れていってしまった。そのことも、広い意味ではローマ帝国衰退の一つの原因になっていきます。そもそも皇帝のできることはローマ周辺のごく一部に限定されていて、到底ローマ帝国全体までは目が行き届かない。だから、ある時期までは皇帝だけでなく、富裕層が行っていたわけですね。
ハドリアヌスという人は、治世20数年の間の半分は、ローマの帝国中で属州めぐりを行ったといいます。そういうときはもちろん、ハドリアヌスが来るからといって、地元民が道路を整備したり水道橋を整備したりします。
それはハドリアヌスが出資することもあるけれど、むしろ「ハドリアヌス様をお迎えするのだから恥ずかしくない都市にしよう」といって、都市の有力者や属州の富豪たちが競って行ったのでした。
だから、「ヘイドリアン・ルネッサンス(ハドリアヌスのルネッサンス)」といわれるぐらい、全ローマ帝国の規模で行われていた時期があった。その頃には、富豪たちが出資しあう昔の慣習が一時復帰したわけです。しかし、全体としてそれらは廃れていくことになりました。
水道にしろ、道路にしろ、公共建築物にしろ、ビル・ゲイツみたいな人たちがいっぱいいて(彼らより規模は小さいけれども)、「持てる者はそれだけ還元しなければいけない」という意識がだんだん芽生えてくるということがあったようです。
―― そこは江戸と共通しているというか。江戸の場合、基本的には公共事業を行うときに供託金という名目でお金を取るときも、有力商人から取ったりするときもあれば、商人が自分のお金で運河を拓いたりしたこともありました。社会道徳として、持てる者が社会に還元すべきだという思想が両者に共通しているようです。
本村 そうですね。でも、ローマのほうが規模は大きかったのではないかな。
―― そのあたりは儲けの規模なども違ったのかもしれないですね。
本村 それはそうですね。何しろ地中海の富が集積する場だったから、儲けは大きかったでしょう。
●理工系の技術、社会の底力としての経済力
―― あともう一つ大きいのが、理工系の技術、土木建築技術です。江戸の玉川上水は、高低差が100メートルほどしかない40キロの距離を引っ張ってきました。江戸の市中に木樋という木の管を縦横無尽に張り巡らせたそうです。その密閉度が非常に高いため、「逆サイフォン」のような形で多少水を揚げたりするようなことも、各種の技術を活用して使っていたようです。
ローマでは、ああいう水道橋の見事な建築を含めて、相当理工技術が発達していましたよね。
本村 そうですね。そういう一旦低いところへ行った水をまた上に揚げるシステムもありました。ポンペイもそうです。あそこは一番高いところに造ってあるけれども、それを全体に流すには相当な水圧をかけなければいけない。そういう工夫はしているみたいです。
―― それができる、できないというのはやはり社会としての底力というか、全体の力があったということになるわけでしょうか。
本村 そう...