●アウグストゥスは「権力」ではなく「権威」で勝っていた
―― 続いて来るのが、「どんな老後が真っ当か」という議論です。いくつか当該箇所を読みます。
「しかし留意しておいて欲しいのは、わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ。(中略)言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨めだ、ということになる。(中略)まっとうに生きた前半生は、最期に至って権威という果実を摘むのだ。」
「一見取るに足らぬ当たり前のようなこと、挨拶されること、探し求められること、道を譲られること、起立してもらうこと、公の場に送り迎えされること、相談を受けること、こういったことこそ尊敬の証となるのだ。これらはわれわれの所でも他の国でも、風儀が良ければ良いほど篤実に守られている」
「どんな肉体的快楽が権威という褒美に比べられようか。その褒美を見事に使い終えた人こそ、人生という芝居を演じきり、大根役者のように終幕でしくじることのなかった人だと、わしには思えるのだ」
ここでも少し厳しいというか、老年が豊かになるのは、若いうちにそれだけやったからだとか、尊敬されることの意味について論じています。日本でも「長幼の序」という言葉がありますが、古代ローマにおいて権威や長幼の序とは、どういう感覚だったのでしょう。
本村 それは強いですね。ローマ人には「権威をもって支配せよ」という言葉があります。つまり権力や軍事力は必要だけれど、最終的に権威がないとみんながひれ伏さない。
だから、皇帝アウグストゥスが自分の遺言書のようなものに、自分が何をしてきたかを書いています。例えばコンスル(執政官)や法務官、護民官とか、そういう(役職です)。
アウグストゥスがうまいのは、王様や国王といった地位は作らなかったことです。あくまで今までの地位のみ。コンスルは何回目で護民官は何回目、などと共和政の時代にあった公職をいくつも兼任するという形で君臨している。
だから、「ポテスタース(権力)」においては、いずれの誰にも勝っていないけれど、「アウクトリタス(権威)」においては他の人に勝っているとしてローマ皇帝の地位を得た。やはり権威を重んじる心が、ローマ人は非常...