●ローマ帝国の衰退を3つの観点から考える
ローマ帝国の衰退というものを、古代末期論として考えてみます。これは、多神教と一神教という切り口から見てもそうですが、ローマ帝国はなぜ衰退したのかとか、それから、なぜローマで一神教が普及したのかということは、皆さんにとっても非常に大きなテーマですし、私自身もよく考えることです。ローマ帝国衰亡論に関しては、ある人が数えたら210個もあるというくらい、いろいろな議論が提示されています。ですから、1つの理由には限らない、いろいろな連鎖の中で起こっていることです。
しかしながら、それを非常に分かりやすくいえば、「経済の衰退」、「帝国ないし国家の衰退」、それから「文明の衰退」、この3つで語ることができると思います。文明に関しては、衰退ではなくて変質と言った方が良いかもしれません。
●経済の衰退
経済の衰退の場合、インフラの劣化を挙げることができます。例えば、アッピア街道にある道路や水道橋といったものは、時間が何百年もたっていきますと劣化するわけです。それをメンテナンスすることができたかどうか、これが1つ大きな問題になります
それから、当時は奴隷制がありましたから、ものごとの合理化をしていかないわけです。つまり、より効率良くしていくのではなく、結局奴隷にやらせればいいという考え方になってしまったわけです。そうすると、イノベーションをしていこうという気持ちが、ローマでは育ちにくかった。そういうことが1ついえると思います。
●帝国の衰退
帝国の衰退に関しては、当然国家というものは徴税をしていかなければならないのですが、その徴税を行うローマ帝国の皇帝の求心力が下がってしまいました。
それから、軍隊が力を持ってくるようになって、軍隊を制御できなくなるわけです。ですから3世紀のローマは、軍人皇帝の時代だといわれます。シリーズ内で申し上げたように、中国の三国志と同じ時代なのですが、ローマでも軍人をうまく制御できなくなったり、それから彼らを養うための財政的基盤が必要になったりしていきます。
そういったものが非常に難しくなっていき、国家を維持していくことが困難になってしまったわけです。
●文明の変質
それから文明の変質としては、多神教の時代から世界公民を扱う一神教の時...