●世界史の調理法1:「多神教と一神教」
今回の講義では切り口として3つのものを取り上げます。それをここでは、世界史の調理法と表現しました。こういったように、世界史を単に羅列的に学ぶのではなくて、3つの切り口で考えてみます。
世界史を調理する切り口の1つ目は、「多神教と一神教」という問題です。これはよく、「一神教と多神教」という順番でいわれることがあります。しかし私はあくまでも、「多神教と一神教」と呼びます。それはなぜかといえば、多神教の方が早く始まっていて、一神教の方が後から出てきたからです。この順番を踏まえると、多神教の神々をあがめている世界の中でなぜ一人の神をあがめるようになるのか、それは世界史的に考えると、ものすごい驚異であるわけです。
ですから、心理学者のフロイト(ジークムント・フロイト)は、なぜ人が一神教というものを考えるようになったのか、そこに非常に大きな興味を持ったのです。例えば、巨大な木があるとか、くめども尽きぬ水が出てくる泉があるとか、人々はそういったものにある種の超自然的な力を感じます。そして多神教であれば、そこに神の存在を感じるわけです。このように、神々が至るところにあると考えるのは、実は人間にとってごく当たり前のことなのです。
それが、唯一にして全能の神が存在すると、なぜ人間が思うようになったのか。こういった多神教と一神教という問題、あるいはそれはなぜ一神教が成立するのかという問題にもなりますけれども、これをまず見ていきたいと思います。ただし私はもともとがローマ史の専門家ですから、私が対象にするのは地中海世界が中心となります。
●「神々のささやく世界」:メソポタミアの場合
多神教と一神教という切り口を理解する際には、「神々のささやく世界」というものを踏まえておくことが重要です。現代に生きるわれわれは、自分の意思で何かを決定していると思っています。しかし、紀元前1,000年よりも前の時代、今から3,000年ぐらいさかのぼって考えてみると、人々の周りには常に神々がいて、そしてその神々の指示が声となって捉えられているのです。
上の写真は有名なハンムラビ法典ですが、これもハンムラビ王が太陽神から法典を授かっている場面です。こういったように、神々が常に人間のそばにいるのです。
(王と太陽神シャマシュとの王権叙任)