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一神教のキリスト教が広まった理由…迫害から公認への歴史

教養としての世界史とローマ史~ローマ史講座・講演編(4)一神教としてのキリスト教

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
一神教であるキリスト教の登場と普及は、世界史における重要な転換点である。キリスト教はなぜ普及したのか、そしてなぜローマにおいてキリスト教は迫害されたのであろうか。その理由が、一神教の特徴とローマの文化という観点から明らかにされる。(2018年11月28日開催10MTVオピニオン特別講演会<教養としての「世界史」と「ローマ史」>より、全11話中第4話)
時間:07:21
収録日:2018/11/28
追加日:2019/07/27
≪全文≫

●一神教としてのユダヤ教普及とキリスト教登場


 一神教というものを世界宗教として考えてみれば、ユダヤ人が最初に大々的に一神教を作りました。そして、ローマ帝国内部のいろいろな都市部に伝えていきました。上の地図では、ユダヤ人の多いところが赤い点で示されています。例えば、ローマであったり、マッシリアであったり。マッシリアは今のマルセイユです。地図を見ると、港町が多い。そういったところに一神教の拠点ができて、やがてそれを基盤としてキリスト教が成立していきます。

 これは、キリスト教が登場して200年ぐらいたった頃、ローマの街でキリスト教を揶揄したという絵です。「お前たちがあがめている神はどうせ大したものではない」ということで、十字架に掛けられたロバがつるされています。これはイエスのことですが、イエスを他の連中がばかにしていることを表す絵です。

 それでも、キリスト教徒は集まりながら、上の絵のような形で自分たちの信仰を育んでいくわけです。


●一神教の特徴は「心の内なる世界に向かう精神」である


 そういった中で、一神教の成立に関しては結局、なにが一番重要なのでしょうか。まず、多神教、つまり神々をあがめる世界では、儀式、セレモニー、あるいは外形的な態度を重視します。ですから、形式がきちんとしていればいい、見かけがきちんとしていればいい。極端にいえばそういうものです。

 ところが、『新約聖書』の中の言葉に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とあるように、典型的ですが、キリスト教はこのことを内面の問題として持ってきています。それから、十戒には「汝、姦淫するなかれ」とあり、これはその行為をしなければいいとも読めます。しかし、イエスの言葉の中には、「淫らな思いで他人の妻を見る者はすでに心の中でその女を犯したのである」というものがあります。

 これはつまり、あくまでも内面の心の問題として取り上げていることを意味します。これがおそらく、一神教の大きな特徴ではないかと思っています。多神教にはなかった、神々をあがめる世界では思わなかった、そういう世界があるのです。


●キリスト教は社会的な不安を背景に普及してきた


 次に、キリスト教が普及していく過程を見ていきます。われわれはよく、紀元30年ぐらいにイエスが十字架に掛かって、それから周りにイエスを慕う人たちが出てきて、キリスト教がどんどんと普及していった、そのように考えがちです。上の図でいうと、点線で書いてあるような形でキリスト教が普及していったと考えがちです。

 しかしながら、実際にはそうではありません。実のところキリスト教徒は、最初の200年ぐらいはほとんど増えていません。その後、3世紀になって急激に増えていきます。では、なぜ3世紀に急激に増えたのか。それはもう話し出すと切りがありません。ですが、その1つとして、当時は非常に社会的な不安が多い時代、危機の時代であった、ということが確かにいえるでしょう。

 そういった不安の多い時代に、イエスと使徒たちを描いた絵のようなものが地下墓所に多く残っています。


●キリスト教が迫害された理由とコンスタンティヌス帝による公認


 そうした中、コンスタンティヌス帝が313年のミラノ勅令でキリスト教信仰として公認するのです。しかし、それ以後100年以上にわたって混乱しました。コンスタンティヌスが公認したからといって、周りの人がそうすぐに認めるわけがなかったからです。

 これは非常に重要なことです。ローマ人はキリスト教徒を迫害したといわれますが、それはローマ人にとってある意味で当然のことです。私がローマ人だったら迫害すると思います。なぜならば、ローマ人の目から見ると、キリスト教の言っていることは、無神論者の言葉に聞こえるからです。キリスト教は、自分たちの神だけが正しいと言って、多神教の神々の全部を否定しているわけですから。

 ローマは多くの地域を占領していて、そこには多くの神々がいました。ローマは、その神々を全て認めてきました。「お前たちの神をお前たちがあがめるのは別に構わない」という態度を取ってきたのです。ところが、キリスト教はそれに対して、それぞれの神々を否定して、自分たちの神だけが正しいと言ったのです。ですから、その当時の人にすれば、キリスト教徒は当然とんでもない人たちに見えた...
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