●一神教としてのユダヤ教普及とキリスト教登場
一神教というものを世界宗教として考えてみれば、ユダヤ人が最初に大々的に一神教を作りました。そして、ローマ帝国内部のいろいろな都市部に伝えていきました。上の地図では、ユダヤ人の多いところが赤い点で示されています。例えば、ローマであったり、マッシリアであったり。マッシリアは今のマルセイユです。地図を見ると、港町が多い。そういったところに一神教の拠点ができて、やがてそれを基盤としてキリスト教が成立していきます。
これは、キリスト教が登場して200年ぐらいたった頃、ローマの街でキリスト教を揶揄したという絵です。「お前たちがあがめている神はどうせ大したものではない」ということで、十字架に掛けられたロバがつるされています。これはイエスのことですが、イエスを他の連中がばかにしていることを表す絵です。
それでも、キリスト教徒は集まりながら、上の絵のような形で自分たちの信仰を育んでいくわけです。
●一神教の特徴は「心の内なる世界に向かう精神」である
そういった中で、一神教の成立に関しては結局、なにが一番重要なのでしょうか。まず、多神教、つまり神々をあがめる世界では、儀式、セレモニー、あるいは外形的な態度を重視します。ですから、形式がきちんとしていればいい、見かけがきちんとしていればいい。極端にいえばそういうものです。
ところが、『新約聖書』の中の言葉に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とあるように、典型的ですが、キリスト教はこのことを内面の問題として持ってきています。それから、十戒には「汝、姦淫するなかれ」とあり、これはその行為をしなければいいとも読めます。しかし、イエスの言葉の中には、「淫らな思いで他人の妻を見る者はすでに心の中でその女を犯したのである」というものがあります。
これはつまり、あくまでも内面の心の問題として取り上げていることを意味します。これがおそらく、一神教の大きな特徴ではないかと思っています。多神教にはなかった、神々をあがめる世界では思わなかった、そう...