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ローマ建国の伝説に秘められた意外な歴史とは

教養としての世界史とローマ史(8)ローマ史を振り返る

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
「人類の経験の全てが詰まっている」といわれるローマ史を簡単に振り返る。そこでは、ローマ建国の伝説、ローマ共和政の成立とローマ文化の発展、ポエニ戦争での勝利とローマの覇権掌握、この3つの時期に分けた解説が展開される。(2018年11月28日開催10MTVオピニオン特別講演会<教養としての「世界史」と「ローマ史」>より、全11話中第8話)
時間:07:06
収録日:2018/11/28
追加日:2019/08/03
タグ:
≪全文≫

●ローマ建国の伝説


 ここからは、世界史の中の1つの典型として、「ローマ史の中に人類の経験が全て詰まっている」という丸山眞男先生のお言葉に少し倣って、ローマ史を簡単に振り返っていきます。

 ローマの始まりについては、双子の兄弟が雌オオカミに育てられた後に捨てられるという伝説になっているわけです。しかし、ローマ建国の時代にまでさかのぼっていくと、その双子の兄弟が成人してローマを建国した後、どうも何かが足りないということになります。

 何が足りないかといえば、われわれの周りには女性がいないということになります。そこで、女性がいなければもちろん楽しくないだろうし、それからまず子孫ができないということで、周りにいたサビニ族の中から略奪してくるわけです。

 そうすると、サビニ族は怒って、今度はローマに復讐しようとします。しかし、サビニ族から略奪された女性はローマ人の妻になっていて、子どももいる。両者が対決するとなると、サビニ人はもともと自分の兄弟であったり親であったりするわけだから、ローマにいる女性からすると、私たちの立場になってくださいということになる。戦いになれば、自分の夫や子どもが殺されるかもしれないし、逆にサビニ族側の親や兄弟が殺されるかもしれない。そこで両者の対立は結局、和解したという伝説が残っているわけです。

 それはともかくとして、現代に目を移しますと、IS(イスラム国)が出始めた頃に、女性たちを略奪してくるという事件が、つい4年前か5年前くらいに盛んに報道されていました。実はこの事件は、ローマの話と似ているのです。ですからヘーゲルなどは、ローマは後にこそ立派な国家だと見なされているが、建国の時代までさかのぼれば、要するに略奪国家である、そのように言っています。だからこそ、ローマを美化しようとして、いろいろな伝説が出来上がっていくわけですが、ローマもさかのぼれば、そういった略奪の歴史があるということは、否めません。


●ローマ共和政の成立と当時の文化


 これは、「ルクレティアの陵辱」という事件を描いた絵です。ローマの最初の頃には、7代の王様がいました。その最後の方にエトルリア系の王様がいたのですが、その親族の中から暴漢のような人が出てきます。この人は、ローマの貞淑な女性を奪い取ろうとして、こういった陵辱をします。そして彼女は、そのために自殺してしまいます。するとこれが発端となって、ローマ人がこのエトルリア系の王様に立ち向かいます。その結果として王政が倒されて、いわゆるローマの共和政(レス・プブリカ)が出来上がるわけです。

 この写真は、典型的なローマ人の理想像として、紀元前4世紀に作られた彫像です。これは日本でいえば、ちょうど縄文から弥生に移る頃だと思うのですが、その時にすでにこういった彫刻が作られていました。その頃における非常に理想化された貴族の姿が描かれています。

 そしてもちろん、紀元前4世紀にはアッピア街道も造られました。

 それからローマ人は、親や祖父、自分の祖先を非常に大事にしますから、それを表したような彫像が飾られているわけです。


●ポエニ戦争とローマの覇権


 その後には、ポエニ戦争が起こります。

 これはシリーズ内でお話しした、ハンニバルとスキピオとの戦いで、スキピオが勝利を収めるわけです。この紀元前202年の戦いにおいて、ローマはカルタゴを破って、地中海の覇権を握りました。ですから、ローマ帝国の成立はそれから150年くらいたった後のことですが、事実上の覇権を握ったのは、この時期のことになります。

 ポエニ戦争の後には、スッラ、あるいはポンペイウス、それからカエサルといった人たちが、紀元前1世紀頃に登場してきます。この時期には、ローマ市民の間で対立が起こってきます。ローマは、「ルクレティアの陵辱」以降、王や独裁者を嫌って500年の間、共和政を守り続けていくわけです。ですから、独裁者をとにかく作らないということが、ローマ人のいわば共通認識でした。しかし、やがて紀元前1世紀の後半になってくると、カエサルのような人物が出てくるわけです。

 カエサルは...
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