●「共和政」はドイツの暴走を抑えられたのか
―― (指導者個人の資質と歴史の流れの関係の難しさについては、)「独裁の世界史」シリーズのギリシア編でも話していただきました。独裁者も熱狂的に間違いをすることがあるように、民主主義でも、よく日本の大東亜戦争や太平洋戦争をむしろ新聞が煽り立てたところもある、といわれるような議論もあります。
民主社会であっても、熱狂して戦争を拡大していくようなケースもある。だからこそ、ずっと「独裁の世界史」で論じてきた共和政の知恵というのが、キーワードになってくると思います。ドイツが共和政だったら、2回の世界大戦のような破局なしに済んだという可能性はあるのでしょうか。
本村 それは、あるでしょうね。共和政とばかりは言えませんが、フランスの例があります。フランスは19世紀の間、共和政と帝政を何度も繰り返し、「帝政には走らない」という知恵を得ました。ところが、ドイツの場合は第一次世界大戦の後、とてつもない賠償金を科せられることになりました。ケインズなども、それには非常に反対をしています。
結局、独裁政といっても、それがどういう形でチェックされるかによるので、共和政であっても独裁者的な人が出てくる可能性はあります。20世紀のフランスになると、ジョルジュ・クレマンソーやシャルル・ド・ゴールのような人たちは、かなり強硬な政策を行いました。しかし、それは共和政という枠内でやっていることだったわけです。
「共和政」という枠組みをはめていると、その中から出てくる独裁者にもどこかでチェックポイントが働いているということです。帝政では、それが働かない。皇帝ではなかったものの、ビスマルクのように自分の中にチェックポイントを持っているような人がいたらいいのですが、組織として、そういう人を育成する方法を見つけるなどということは、なかなかできないものです。
―― 資質なり、社会的な教育システムの問題になってきますよね。そこで思い出すのが、ちょうどローマ帝国のお話をいただいた時の、ローマ的な伝統が共和政を500年続かせたというところです。そういうものを社会的に涵養して、養い、高めていかないと、すなわちそういう「知恵」がないと、共和政も根づくものではないというところになってくると思います。
●敗戦を機に見過ごされてきたドイツの帝国性
―― そういう意味では、プロイセンやドイツは独特な文化があったと言えるのでしょうね。
本村 「民族性」などという言葉を使っていいかどうか分からないけれども、ともかくドイツにはそういうものがあるのではないか。
前回話したエマニュエル・トッドという人はフランス人ですが、決してドイツ人を毛嫌いしているわけではなく、「ドイツ」というものを冷静に見ています。どうして彼が「ドイツ帝国」に警告するかというと、どうもアメリカ(つまりアングロサクソン)の人々はロシアが嫌いで、ロシアと接触したくないとかロシアを潰せという立場に立っており、ドイツを見過ごしていると言うのです。
―― なるほど。
本村 ドイツが戦争に負けたこともあり、見過ごしたままで済んでしまった。ヒトラーの時代なら、そういうわけにはいかなかったでしょうけれども。
ヨーロッパの中には、大きな対立として「ドイツ対ロシア」があります。「ドイツ対フランス」もありますが、「ドイツ対ロシア」は、EU以来希薄になってはいます。それがまたいつ、どこで復活するかは分からない。そういう危険が「ドイツ帝国」の中にはあるのだ、ということもトッド氏などが指摘していることです。
そういうことは警戒しておかないといけないのに、どうもアングロサクソンの人々はロシアに対する警戒心が強くて、ドイツを軽く見ている。その傾向に対して彼は警告しているわけです。
―― どちらかというと、日本から見ていると、ナポレオン戦争を仕掛けた国がそう言うのは、同じ穴のムジナみたいなところもなきにしもあらずだと思いますけれども。
本村 そうですね。
―― フランスとドイツでは、やり方が少し異なります。フランスの場合はその理念を押していったという感じですが、ドイツはあまり理念を感じさせない押し出し方でした。これには、やはり追いかける国の悲しさというところがあるのかと思います。
本村 それに覇権主義のようなものがあります。中国などもそうですが、最近また覇権主義的になる傾向がありますね。それは、19世紀のアヘン戦争以後、一旦はかなり痛めつけられたので、それに対する反動という形もあるだろうと思います。
ドイツの中にも、やはり第一次世界大戦と第二次世界大戦において敗戦国として痛めつけられたことに対する反動もあるのかもしれません。東アジアにおける中国と、ヨーロッパにおけるドイツの覇権国家的...