●日本ではアメリカがしばしば誤解されている
東 米国安全保障企画の研究員の東秀敏と申します。よろしくお願いします。本日は「米国論再考Vol.1」というテーマで、アメリカとは何かという根本的な問いに答えていきたいと思います。
「アメリカとは何か」という問題は非常に大きな問題なので、より小さい問題をいくつか提起します。なぜ日本では多くの場合トランプ大統領の当選を予測できなかったのでしょうか。次に、なぜ日本ではトランプ政権に対する見当違いな理解が跋扈するのでしょうか。そして、そもそも日本人は米国を正しく理解しているのでしょうか。このような根本的な問いについて考えていきたいと思います。
日本からは、独特のフィルターをかけて米国は見られています。米国のありのままの姿、特にハーディングについての講義でも説明したもう一つの米国について考える必要があると思います。しかし、米国に関する素養がないと、日本独特のフィルター越しに米国を見ることになります。さらに、日本の場合、残念ながら英語力が根本的に欠如していることが多く、米国に対する深い理解を得るのはかなり難しい状況です。
したがって、適切な視点、着眼点が必要になります。ここでは、アメリカを歴史と地理という観点から、再度見つめ直すという作業に取り組みたいと思います。
●アメリカという発明と終わらない実験
議論の要旨としては、米国とは革命を基礎とする発明によって成立している国だという点が、メインポイントです。しかも、発明が実験を伴って繰り返されている国です。つまり、米国は無意識に永続革命論に立脚しているのです。建国の理念は複雑ですが、一般市民に理解しやすいよう、実は記号化されています。その代表が1ドル札の国章です。後で詳しく説明します。
また、アメリカを形容する二つの英単語があります。一つはThe United States of America(アメリカ合衆国)です。これは、共和政の政治のあり方、共和政体を指します。もう一つの単語は、Americaです。これはアメリカという共同体を意味します。つまりアメリカ合衆国という言葉(The United States of America)のレジーム(体制)は常に発明され、そして発明の実験台となる場所がアメリカなのです。この関係を理解しなければなりません。
米国の発明を突き動かすのはテクノロジーです。テクノロジーなきアメリカは、本質的に成り立ちません。科学実験が常に試行錯誤を経て発明に至るように、米国の歴史は常に両極端にぶれるローラーコースターのようなものなのです。
個人的見解としては、日本は永遠に米国を理解できないと思います。また、米国側も永遠に日本を理解できないと思います。だからこそ、われわれが努力して、米国の理解の促進に努めなければならないと思います。
講義の概要としては、まず米国という発明について説明し、その後米国国章に込められた建国の理念の記号を解読しようと思います。次に、独立宣言と米国憲法についてお話しします。最後に、テクノロジーの限界と可能性に言及し、結論に至ります。
●未完成な存在として変化や政治闘争が繰り返されるアメリカ
まず、米国の正式名称はThe United States of Americaですが、この名称自体が発明なのです。もともとは大英帝国植民地であった13州を束ねた国家のことを指しました。最初の発明は、「アメリカの独立」だったのです。やはり、革命が米国という発明の本質なのです。独立宣言と米国憲法は、米国の理念と本質を明文化したもので、これは発明品の設計図といえるでしょう。
建国の父の一人で、自身も科学者かつ発明家だった、ベンジャミン・フランクリンという人がいます。彼は、「米国の政体は共和政である。それを維持できるなら」という、有名な言葉を残しました。米国のあり方を建国の父が議論した集会が開かれた際に、フランクリンも招かれました。そこで、ある女性が、「われわれの国の政治のあり方はどうなるのでしょうか。君主政ですか、民主政ですか」と、質問しました。その時にフランクリンが、上記のような言葉で返答したのです。
つまり条件付きの共和政なのです。これは非常に重要なのです。つまり発明品として建国されたアメリカは、未完成な存在なのです。そのため、常に実験を必要としており、新たな米国が発明され続けなければならないのです。たゆまぬ米国市民の努力によって、この実験と発明を繰り返さなければならないのです。
また、もう一つ重要な点として、新たな発明が行われる際には、必ず革命的なエネルギーを放出します。言い...