●フランス革命が残した「国民国家」の動き
―― 前回お話がありましたが、フランス革命は革命を輸出したようなかたちになります。その後のロシア革命は共産主義を輸出しました。確かにフランス革命では、先生がおっしゃったように「自由・平等・博愛」が世界的な価値になるというプラス面があったのと同時に、周りの国からすると多少迷惑な面もあったのではないでしょうか。
革命思想の輸出もあれば、戦争に巻き込まれていくケースもあったはずです。また、それにより社会保障などが進んでいったということもあるかもしれません。こうした革命の輸出の迷惑さというところは、歴史的にやむを得ないところなのでしょうか。
本村 革命の輸出という見方もありますが、結局フランスが後の時代に大きな形で残したのは、「国民国家」という考え方です。これがやはり他の国々にも伝播されていったのではないかと思います。
―― 国民国家というものはどのように解釈すればよろしいでしょうか。
本村 自分たち固有の同じ言語を持ったり、同じ宗教を持ったり、同じ伝統を持ったりする人々が、そういう民族として一国の国民を形づくるのだという理念です。抽象的な人権思想よりも、もっと具体的にそういう動きが生まれているのではないでしょうか。
特に典型的なのはドイツでしょう。彼らはフランスに侵略されることで、「ドイツ人」として自分たちのまとまりを生んでいきました。ロシアにもそういうところがあります。
ナポレオンは革命理念を広めようとしたのだろうけれども、結果的にはフランスにおいて初めて国民国家的な「フランス人」という意識が生まれてきたのだといわれています。その思想が、ドイツやロシア、あるいはイギリスなどにも生まれてくる。そのほうが、歴史的にはむしろ大きな意味を持ったのではないかと思います。
●民主政が独裁政を生む必然的なプロセス
―― ある意味ではステージが変わるというか、ギアチェンジになるというか、その前と後ろでまったく世界観が変わってくるというところですね。
本村 そうですね。言語が典型的で、それ以前はフランスでさえまちまちでした。われわれは「同時代のフランス人」としてくくってしまいますが、南部の人と北部の人では同じフランス語でも全く通じないということもあった。日本だってそうで、昔にさかのぼれば方言の違いが大きかった。
それが国民国家の時代になって、だんだん標準語のようなものが生まれてくるわけです。そういう形になったことで、一つの大きなまとまりとして近代的な国家が生まれてきた。それがフランス革命の、一つの結果的な産物ではないかと思います。
―― 最後にお訊きしたいのは民主政と独裁政の問題です。ナポレオンもロベスピエールも、投票や選挙をベースにした「民主政」の人でした。ところが、最終的には独裁政に結びついてしまう。この「民主政から独裁政へ」というのも、歴史の中で何回も繰り返されてきた要素であるように思います。民主政が独裁権力を生んでしまうことについて、先生はどのようにお考えでしょうか。
本村 民主政の理念を実現するためには、人の数と同じだけの意見をすべて満足させないといけないので、なかなか難しい。それを収拾するために、ある時期独裁政的なものが生まれてくるのは、やむを得ない手段として働くからではないでしょうか。
これは国だけではなく、どんな社会であっても、一つの集団がある限り、付いてまわるのではないか。強力な力やお金を持った人が、その意見を押し通していくのは、収拾のつかない場面であればあるほど、そうなっていくのではないかと思います。
●激動の後に揺り戻しがきて、中庸が実現
―― 前回お聴きした「中庸」にいこうとして、いけないためのブレでしょうか。
本村 そうですね。そのように動くなかで、全体として中庸なほうに向かっていけばいいというようなことだと思います。
―― 振り子がだんだん収まっていく動きですね。初めから中庸に着地できればいいけれど、フランス革命のような大激動が起こると、第何共和政、第何帝政といった感じで何度も揺り戻しが繰り返されます。結局そういう振れ幅というか余震が続いていくわけなのでしょうね。
本村 例えば、日本の明治維新の場合は、本当にスムーズに立憲君主政に変わっていきました。その時、明治天皇が果して立憲君主という考え方を持っていたかどうかは分かりませんが、昭和天皇は「自分は立憲君主だ」という考えを完全に持っていました。その移行が比較的スムーズに行き、トップの皇族などの存在がほとんど傷つかないで進めることができた。
ところが、フランスの場合はそうやって揺れたり、弾圧されたり、処刑されたりを繰り返してくる。そこのところがうまくいかなかったため、何度も言うよう...