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なぜナポレオンはフランス革命の理念を広めようとしたのか

独裁の世界史~フランス革命編(6)皇帝ナポレオンによる独裁

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
戴冠式の正装の皇帝ナポレオン
全ヨーロッパを駆け抜けたナポレオンの評価は、英雄から人非人まで大きく分かれる。フランス革命の時流に乗って皇帝に上り詰めた彼が杖としたのは革命理念だったが、実際にはヨーロッパ全土にナショナリズムが鼓舞され、自身の帝国は滅亡してしまう。(全7話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:41
収録日:2020/01/10
追加日:2020/10/16
カテゴリー:
≪全文≫

●ナポレオンが革命理念を広めようとしたのは独裁の正当化のためか


―― ナポレオンの場合、実に近代的な民法などを整備しつつ、一旦断絶していたキリスト教会との復縁をするなど、現実的な対処を行いました。その一方で、今度は彼がヨーロッパを蹂躙していくことになり、世界史は新たな局面に向かいます。ナポレオンが果たした役割について、先生はどのようにお考えでしょうか。

本村 彼は、まず自分がそれほど恵まれた家庭に育ったわけではないので、軍人として抜きんでていくこと、のし上がっていくことを強く求める気持ちがありました。

 国全体が不安定だったこの時期、民衆の反乱が起こったときに、彼は実際に軍人としてかなり強硬な手段に訴え、大砲を発射して鎮めてしまうような形で反乱を収めたわけです。そういうことで、彼は強力な指導者、頼り甲斐のある人間として、周りの人の信望を集めていきます。

 そして、1799年のクーデターで統領政府を打ち立てると、3年後には自分が「終身統領」になります。いわば「皇帝」なわけですが、さらに2年後には、国民投票を通して名実ともにフランスの「皇帝」に就任しました。

 これも、ある意味では完全に立憲君主の考え方です。つまり、ナポレオンは独裁者ではあるけれども、やはり18世紀の啓蒙思想の洗礼を受けているし、さまざまな民の規約である民法なども踏まえています。その上で、彼は自分が革命におけるジャコバン派の轍を踏まないため、穏当な手段で進めていこうとします。

 ただ、彼の陥っていた一つの考え方として、革命の理念を正しいものと捉え、これを広めたいと思っていたのではないか。フランスの支配を広めることが革命の理念を広めることなのだ、と捉えた節があります。彼は、もともとのし上がりたいという欲求を持っていた人だからそうなのかもしれませんが、フランス革命の理想や理念を踏まえ、それを広めていくということで、自分の独裁権力を正当化していたのではないかと思います。


●絶対王政、ロベスピエール的な革命政府、ナポレオン政府の違い


―― それで、まさに「ナポレオン戦争」と呼ばれる、ヨーロッパ全土を巻き込む大戦争になり、北はロシアから南はスペインまで戦場が広がり、最終的には負けて退場していくというところですね。

 絶対王政からフランス革命、それからジャコバン派の独裁、ナポレオンという流れにおいて、それぞれ独裁政が進むわけですが、その形としては、絶対王政、ロベスピエール的な革命政府、ナポレオン政府による帝政の3種類があると思います。それぞれの違いについては、どのようにお考えになりますか。

本村 まず、絶対王政の独裁政はルイ14世が典型で、いわゆる立憲君主政ではなく、つまり君主は法に縛られなかった。そういう独裁政については、プラトンが理想にしていた「優れた人(哲学者)が独裁者であれば、それはそれでいい」という考え方があります。

 ただ、どうしようもない人物が、法に縛られない国王になってしまうと、とんでもないことになってしまう。法に縛られない独裁政、いわゆる絶対王政は、前近代において多かれ少なかれスタンダードとなっていました。

 ところが、ロベスピエールやナポレオンは、もう啓蒙思想やフランス革命の理念が分かっています。だから、ロベスピエールは独裁的権力を振るって、反対派を弾圧・処刑する場合に「反革命」というレッテルを全てに関して貼ったわけです。「反革命」の名前さえつけば、弾圧・処刑してもいいのだという考え方が、そこにはあります。

 それから、ナポレオンになると、国民投票で皇帝に就任する時に、自分ですら一票を投じています。これは、ある種の立憲君主政的な手続きを踏まえているからです。

 そういう中にありながら、彼は新しいフランスの国家が出来上がっていく過程で、他の国にフランスの支配あるいは覇権というものを及ぼしていく。そういう形で革命理念の体現者となり、諸外国を支配下に置きつつフランス革命の理念を広く浸透させたいという気持ちがあったのではないでしょうか。ナポレオンは、単なる絶対君主的なものとして君臨したいというよりも、革命理念によって自分を正当化している部分があったのではないかと思うわけです。

 このように、ロベスピエールもナポレオンも、18世紀以来の啓蒙思想や革命理念を心得ていた。ただ、そのやり方が歴史の中での試行錯誤であり、ナポレオンの後にはまた共和政に戻っていくような流れになります。

 結局、フランス革命の洗礼を受けたロベスピエールやナポレオンは、何か名目がなければ自分の独裁というものを主張できません。それが、ロベスピエールの場合には反革命勢力という形でレッテルを貼ることでした。ナポレオンの場合には革命理念や人権思想を広めるのだという意識がありました...
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