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アテネ以外のポリスの多くでは「僭主政」がずっと続いた

独裁の世界史~ギリシア編(2)僭主政と貴族政の違い

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
概要・テキスト
21世紀の現代、「独裁」という言葉は否定的に使われる。しかし、世界史を見ると、「独裁でない」時代はむしろ例外だ。その貴重な例外に、ギリシアやローマの共和政がある。彼らはどのように「独裁」をコントロールしていったのだろうか。(全11話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:34
収録日:2019/12/03
追加日:2020/03/06
カテゴリー:
≪全文≫

●ギリシアのほとんどの地域では僭主政が続いた?


本村 どんな時代でもそうかもしれませんが、政治のリーダーシップを担う人間を選べないような状態が続くと、混乱や無秩序が続くなかから非常に力強い者が出てきます。そういう者が力ずくで周りを押しのけて権力を握っていく。これが、のちに「僭主」といわれる人たちで、ギリシアのポリスにおける「独裁政」の発生は、その時期になります。僭主が出てくると、この「僭主政」が何年も続くことになります。

―― だいたいどんな地域でも、王権が弱くなってくると、違う種類の権力者が出てくるように思います。例えば日本では、かつて天皇家と藤原家の関係などがそのケースに当たりそうです。アテナイにおける「アルコン(統治者)」は、他の地域と比べると、どういうところが特徴だったのでしょうか。

本村 僭主政は、ギリシア史の根本に関わることです。ギリシアというと、アテネが非常に強調されて、そのなかでは僭主政がなくなって、民主政になっていく。ただ、これはアテネの例であって、他の地域は簡単にそうなってはいません。つまり、全体としてギリシア史を見れば、僭主政がずっと続いているのです。

 民主政になったのはアテネが典型ですけれども、他にもポリスがいくつもあるなか、ギリシアのポリスがおしなべて民主政を続けていったとか、それに成功したというよりも、むしろ大方のギリシアのポリスは僭主政が続いたと考えたほうがいいですね。


●広かった古代のギリシア世界、多かった僭主政


―― すると、アテネだけが少し異例だったのでしょうか。

本村 異例というと、アテネだけのように受け取られますが、そうではありません。他にもそういうことができたところもあります。例えば、スパルタなどは、ある意味でアテネ以上に民主政が徹底していました。戦士団としての結束が非常に固く、「ホモイオイ」といいますが、同じ市民として同一の権利を持った1万人ほどの少数者がポリスを支えました。彼らは「民主政」のような言葉は使いませんが、スパルタはアテネ以上にそれが徹底していた、と見られます。

 アテネでは僭主政を倒して、その後、民主政が樹立されますが、非常に厳密な言い方では50年ぐらいしか続きませんでした。ただし、最近のギリシア史の研究者は、ポリスの民主政はもっと続いていたと言います。つまり、ペリクレスがいた時ほど完成...
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