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古代ギリシアの民主政と古代ローマの共和政、その違いとは

独裁の世界史~ギリシア編(3)民主政と共和政の違い

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
古代ギリシアのポリスで行われていた民主政を知るために、ローマの共和政と比較してみよう。全員平等の政治参加を旨とするギリシア、「見識のある人」に政治を任せ平民が保護されるローマ。歴史はどちらに軍配を上げたのだろうか。(全11話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:52
収録日:2019/12/03
追加日:2020/03/14
カテゴリー:
≪全文≫

●ギリシアの民主政とローマの共和政


―― これも今後の整理のためにお訊きしたいのですが、ギリシアでいう「民主政」と、ローマの「共和政」。この二つは、今の方が混同してしまうケースも多いと思うのですが、この違いはどのように考えればよろしいわけですか。

本村 これは、特に日本人には「共和政」が理解しにくいのではないかと思います。「民主政」(デモクラシー)というのは、民衆や村などを指す「デイモス」を中心にしてつくっていく社会のことです。アテネの場合はそれが徹底していて、いわゆる直接民主政が行われました。市民から選ばれるというよりも、むしろ抽選で、公務の担当者を決めていくのが、ギリシアのやり方だったのです。

 ローマのやり方は、そこまでにはならなかったというか、なる必要がないと考えていました。彼らにとっての国家は「レス・プブリカ」で、のちに「リパブリカン」とか「リパブリック」という言葉を生みます。「レス・プブリカ」は「共和政」と訳されますが、ラテン語そのままの意味では「公」のことです。

 つまり、国家そのものが、彼らにとって共和政だったわけです。ですから、そういう「公」を指導する人間は、ある程度見識を持たなければいけないというのが、ローマ人の考えでした。その点が、ギリシアとはとても違っています。


●ギリシアの直接民主政は約50年しか続かなかった


本村 ギリシアの場合は、みんなができるだけ同じような知識や権利、義務を持ってやっていくべきだというふうに考えたけれども、ローマの場合は、早い段階から民主政という考え方はあまり起きてこない。「ある程度見識を持った人」が、元老院貴族の形になるわけです。理念的には300人の元老院貴族がいて、彼らを中心に国家を運営します。

 ローマの場合も(平民の構成する)「民会」ができます。それからコンスルは2名いて、彼らは独裁者に匹敵するような権限を持っています。これは、行政を実際に担当するときにはいちいち元老院にはかっていられないからで、元老院が決めたことを実行する段階では、コンスルを中心とする行政担当者がやっていくのがローマの考え方です。

 しかし、ローマは一つには民会を設けたし、何か不都合があったとき、例えば元老院貴族が横暴で民衆に対して不利なことを行ったりしたときのために「護民官」という制度を設けました。この「護民官」には誰も手を触れてはならないことになっていた。それぐらいの権限を与えて、民衆を保護していたわけです。そういうことはありながらも、基本的にローマは共和政国家、つまり元老院貴族を中心とした国家だったと考えていいのではないかと思います。

 ところが、民主政であったギリシアのポリスは、いわゆるデイモスの運営するものとして、抽選で国家の担当者を選んでいく(そういうことをやったがためにかどうかは分かりませんが)ということで、結局、彼らの制度は短くいえば50年ぐらいしか続かなかった。でも、考え方によっては、そういう国内評価をするのではなくて、もう少しポピュリズム的な要素も含んでいたけれども、やはり自分たちで決定していこうという姿勢は、ギリシア人の間でも長くそういう動きや彼らなりの考え方があったと、最近の研究者は考えています。


●ギリシアの「デイモス」、ローマの「SPQR」


本村 そういう意味では、それを「民主政」と言い切れるかどうかは別にしても、民衆の思いを中心に決定するという姿勢は、やはりギリシアのほうがローマよりもあったかもしれません。

 ただし、それはポリスの大きさや規模というものが関係します。ギリシアの民主政は直接民主政ですから、ポリスの規模が人口1万人ぐらいからせいぜい2、3万人ぐらいまでのときはできるのですが、それ以上になるとやはり機能しない。実際、ギリシアのポリスはほとんどそれ以上にならないかたちでまとまっていくことになるわけです。

 ローマの場合は周りに領土を拡大していって、人口の規模も大きくなっていきます。そういう違いがなぜ起こったかということも大きな問題ですけれども、ギリシアの民衆(デイモス)に対して、ローマの場合は「SPQR」という言葉があります。これは「Senatus Populusque Romanus(セナートゥス・ポプルスクェ・ ローマーヌス)」といって、「ローマの元老院と民衆」という意味です。

 つまり、彼らが自分たちの正式名称とした「SPQR」のなかで、すでに元老院貴族と民衆はどこかで分かれているわけです。ギリシア的な考え方だと、こういうのは出てきません。実質的にはもちろん富豪もいるし、貴族みたいな人たちも当然いるわけですよね。

―― 有力者クラスですね。

本村 ええ。だけど、それを建前の上では明確にはしない。ところが、ローマの場合はある程度、現状の元老院身分と、そうでない平民身分を...
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