●ギリシアの民主政とローマの共和政
―― これも今後の整理のためにお訊きしたいのですが、ギリシアでいう「民主政」と、ローマの「共和政」。この二つは、今の方が混同してしまうケースも多いと思うのですが、この違いはどのように考えればよろしいわけですか。
本村 これは、特に日本人には「共和政」が理解しにくいのではないかと思います。「民主政」(デモクラシー)というのは、民衆や村などを指す「デイモス」を中心にしてつくっていく社会のことです。アテネの場合はそれが徹底していて、いわゆる直接民主政が行われました。市民から選ばれるというよりも、むしろ抽選で、公務の担当者を決めていくのが、ギリシアのやり方だったのです。
ローマのやり方は、そこまでにはならなかったというか、なる必要がないと考えていました。彼らにとっての国家は「レス・プブリカ」で、のちに「リパブリカン」とか「リパブリック」という言葉を生みます。「レス・プブリカ」は「共和政」と訳されますが、ラテン語そのままの意味では「公」のことです。
つまり、国家そのものが、彼らにとって共和政だったわけです。ですから、そういう「公」を指導する人間は、ある程度見識を持たなければいけないというのが、ローマ人の考えでした。その点が、ギリシアとはとても違っています。
●ギリシアの直接民主政は約50年しか続かなかった
本村 ギリシアの場合は、みんなができるだけ同じような知識や権利、義務を持ってやっていくべきだというふうに考えたけれども、ローマの場合は、早い段階から民主政という考え方はあまり起きてこない。「ある程度見識を持った人」が、元老院貴族の形になるわけです。理念的には300人の元老院貴族がいて、彼らを中心に国家を運営します。
ローマの場合も(平民の構成する)「民会」ができます。それからコンスルは2名いて、彼らは独裁者に匹敵するような権限を持っています。これは、行政を実際に担当するときにはいちいち元老院にはかっていられないからで、元老院が決めたことを実行する段階では、コンスルを中心とする行政担当者がやっていくのがローマの考え方です。
しかし、ローマは一つには民会を設けたし、何か不都合があったとき、例えば元老院貴族が横暴で民衆に対して不利なことを行ったりしたときのために「護民官」という制度を設けました。この「護民官」には誰も...