●民衆に「国家の担い手」意識を与えたペルシア戦争
―― 「クレイステネスの改革」によってデーモスが整備されていくなかで、前回にも触れられたペルシア戦争が起こってきます。ここの流れは、どういう形になっていくのでしょうか。
本村 「クレイステネスの改革」では、要するに形式的・制度的なことをある程度つくり上げました。ところが、制度や形式をつくっても、物事が実質的に機能するかというと、歴史のなかではなかなかうまくいっていないのです。それは「区民」である民衆が、「自分たちは新しい国家を運営する」という自覚を持っていないからです。
その頃はデモクラシーという言葉をはっきり言ったとは思いませんが、それでも、「民衆の力」、民衆が中心になって国家を運営するのだということをもっと自覚しなければいけない。なぜなら、それまでは当然ながら王や貴族のような有力者がいて、最後には僭主が出てきて、そういう人々が実質的に権力を握って動かしていたわけです。
ところが、「クレイステネスの改革」によって、形式的・制度的にはそうではなくなった。民衆を抱き込み、「民衆を中心にした国家をつくるのだ」と言ってやっても、民衆が本当にそれを自覚しているかどうか。それが、ペルシア戦争の持った大きな意味だと言われています。
●民衆不在だったペルシア戦争の「マラトンの戦い」
本村 というのは、前半のペルシア戦争は、「マラトンの戦い」に象徴されるように、陸軍を中心とした戦いでした。そして、この時代に当然のこととして、ある種の貴族や身分の高い人々が中心になる。というのは、こういう古い時代の軍隊では武具自弁だからです。自分でそれをそろえられなければ参加できない。
だから、当然貴族や富豪のような層が中心になって軍隊が作られるわけです。民衆が参加することがあっても、後ろで車を引いたり、荷物を持ったりという形に限られます。大方の民衆は、戦争そのものにはあまり参加していないのです。
ペルシア戦争の前半は、そういった貴族や富豪たちの集まりとしての軍隊とペルシアとの戦いでしたが、かろうじてマラトンの戦いで最後にギリシアが勝利を収め、ペルシアは撤退します。でも、ペルシアというのは大国です。ギリシアの小さなポリスのようなものに負けたことは、彼らにとってはいつか雪辱しなければいけないこととなり、虎視眈々と狙うようになります。
●詭弁を用いて「海軍主義」を実行したテミストクレス
10年後に再びペルシア戦争が起こったとき、最終的には「サラミスの海戦」で、ギリシア側が勝利を収めます。それには、この時代のリーダーだったテミストクレスという人が働きました。
ちょうどこの頃、アテネ近郊のラウレイオンというところで銀の鉱山が開発されます。偶然ではあるものの、銀を資金としてお金ができたわけで、これをどう使うかが議論されました。民衆の間にはアジテーターのような者たちもいるので、「そんな金はみんな民衆に配れ。そのほうがいいじゃないか」という意見もあります。この時、テミストクレスは、「ペルシアという大国が、いつかまたわれわれのところに攻めてくるに違いない」といって反対するのです。
ペルシア戦争に最初参加したのは貴族や富豪たちばかりで、民衆は参加しておらず、あまり戦争を直に見ていません。だから、ペルシア戦争の実感がなかったのです。しかし、テミストクレスはこう考えました、いずれペルシアは海軍を率いてやってくる。両国の間にエーゲ海があるのだから、次は海軍を中心にするに違いない。これに対処するために、こちらも海軍を充実させよう。これがテミストクレスの「海軍主義」で、その資金として銀の鉱山を使おうという作戦を考えるのです。
しかし、民衆はその段階になっても、特に下層市民たちは、ペルシアというとても強い国があるらしいということは分かっても、あまり実感はしていません。
アテネの隣、サラミス湾を通じて見えるぐらいのところに、アイギナという島国があり、アテネとはいつも対立していました。すぐ向こう側に見えているので、テミストクレスは「アイギナとの戦いに備えて海軍を充実させる」といった一種の詭弁を使いました。そうしないと、民衆が納得しないからです。
実際には、テミストクレスの頭の中では、アイギナなどは大した敵ではない。いずれやってくるペルシアにこそ備えて海軍を整えよう、と考えている。これがうまく図に当たり、準備しておいた海軍が、やってきたペルシア軍をサラミス湾に追い込んで壊滅させることに成功します。
この戦闘では、船の漕ぎ手としてたくさん民衆が参加しました。つまり、戦争の現場である戦場に参加したのです。彼らは実際に海軍で船を漕いでいたわけですから、自分たちが国力の担い手であることを自覚する...