●市民間の平等を徹底したスパルタというポリス
__ あと1つ、スパルタについてもう少しお聞きしたいのですが、他に何か特徴的なことはありますか。
本村 スパルタは、そもそもラコニア一帯における支配を確立するところから始まります。非常に重装歩兵の密集部隊として、7歳ぐらいの小さい頃から訓練して、ずっと集団生活をさせます。そして、市民の間というのはもう本当に平等なのです。
「スパルティアタイ」や「ホモイオイ」と言いますが、「ホモイオイ」というのはまさに「平等者」という意味で、市民団のまとまりとしては平等者です。ところが、その下には「ペリオリコイ」(劣格市民)なり「ヘイロータイ」(奴隷、隷属農民)と呼ばれるような身分もあるわけです。ただし、一番上の身分のなかでの民主政は、ある面ではアテネ以上に徹底していました。
―― これは戦士部隊というか、戦士軍団ということですね。
本村 ええ。そういう形で訓練して、閉鎖的にできあがっていました。ですから、小さな国で閉鎖的にやっている限りはうまくいったのですけれども、ペロポネソス戦争に勝ってしまった。そうなると、他の地域にまでにらみを効かせるために、他の地域に派兵しなければいけない。そうすると、いわゆる鎖国体制が崩れていく。と同時に、鎖国体制だからうまくいっていたスパルタ市民団の結束がだんだん弱まってくる。結局、アテネには勝ったけれども、自分の弱点に負けたみたいなところがあるのではないかと思います。
●世界帝国化できたローマとそれができなかったスパルタの違い
―― 戦士や重装歩兵がいわゆる民主主義をつくるという点では、ローマとも共通するところがあると思います。ローマがあれだけ世界帝国化できたのに、スパルタができなかった一番の違いというのは、どこにあるのでしょうか。
本村 やはり、それはスパルタが鎖国体制の市民団の結束のなかで成り立っていたからでしょう。ローマは元老院貴族と平民との違いがありますし、平等や何かをそれほど表立って言わない。そして、他のポリスや他の地域を支配すると、それらを一律の平等では扱っていません。それぞれの特徴でやらせています。
―― ローマが、ですね。
本村 ええ。ローマの場合、一般的な原則でこうと決めつけるのではなく、それぞれのポリスの特質に合わせて、条約を結んだりしています。そのように臨機応変にその場でやっていくところがローマの特徴です。スパルタのような形で、なかの市民団は結束していても、新しく地域を併合すると、もう自分たちの弱点がボロボロに出てきてしまう。そこが、ローマとの決定的な違いです。
ローマは、やはり政治家として権威を重んじろと言うのです。だから一人一人の人間、あるいは元老院貴族なら元老院貴族、つまり、政治をやるのは、もちろん最初は武力で征服するのだけれども、その後、権威(アウクトリタス)を持ってやれというのが、ローマ人の一貫した姿勢です。優れた人間、あるいは優れた指導者だということを、どこかで相手に見せて分からせるというのが、ローマ人のやり方でした。
スパルタは、軍事的な集団としては優れたものがあっても、一人一人の人間として、どの程度のものだったかという点は、少し疑問に思います。
―― 権威を感じさせるようなことができなかったということですか。
本村 そうだったと思います。それはレオニダスのように300人の戦士団の先頭に立っていた王様は、権威があったかもしれませんけれども。ギリシア人がやってきたとき、「ローマの元老院貴族は一人一人が王様みたいな人でした」という感想を残していますから、ローマ人のリーダーたちは何かそういうものを持っていたのでしょう。そこが、スパルタには欠けていたのではないでしょうか。
―― エリート主義と民主政の違いでしょうか。ここも、微妙な色合いのところですね。
本村 そうですね。
●エリート教育で大事なのは責任を取るということ
本村 エリート主義の意味合いはともかく、確かにリーダーということを考えることは大切です。日本ではエリートという言葉があまりよくない意味で使われているけれども、欧米を見ると、フランスなどでもエコール・ド・ノルマルのように、非常にごく一部の者にものすごい教育を施したりしている。もちろん、そうではないところから出てくる者たちもいますけれども。やはり一番肝心なところは彼らにやってもらう。それは、ギリシア・ローマ時代以来のいろいろな伝統のなかで培われてきているのではないかと思います。
日本はどちらかというと、民主主義というと「みんな平等にしろ」という方向に流れやすいけれど、そうではない部分も必要です。やはり必要なところは、ちゃんとエリート教育を受けた者が行う。このエリート教育というのは、特権...