●「デマゴーグ」のもともとの意味は「デイモスを説得する人」
―― ペリクレスの後に続いた人々は「デマゴーグ(扇動者)」と言われます。自分の権力のために民衆におもねるというか、民衆を説得するのではなく、民衆のご機嫌をとって権力の維持をしたり、派手なことを言って耳目を集めたりする。これもやはり民主政の陥りがちな欠点のように思います。
本村 「デマゴーゴス」という言葉は、語源的に遡れば、まさに「デイモスを説得する人」なのです。だから、ペリクレスはデマゴーゴスの典型であるし、テミストクレスもいい意味で、出発点でのデマゴーゴスなのです。ところが、同じデマゴーゴスのなかに、クレオンやアルキビアデスのような後の世代の者たちが含まれるようになる。彼らは民衆の不満にうまく乗っかった言説を得意としたので、「アジテーター」という言葉に代表されるような現代的な意味で「デマゴーグ」が使われるようになります。
今日的な意味ではデマゴーグは悪い意味で使われているけれども、出発点におけるデマゴーグは決してそうではなかったのです。今では時を経てアジテーター的な意味で使われるところに来てしまいました。ただし、ここからが白とか黒と分けられるものではないので、そこが難しいところです。
―― 難しいですね。本来はプラスの意味だったデマゴーグが転落していってしまう。これは能力に依拠しますから、能力がない人や下手に野心を持った人がそれをやると、現代的な意味のデマゴーグになってしまう、と。このあたりの危険性、制度としての不安定さのようなものがギリシア、特にアテナイの弱点だったということになるのでしょうか。
本村 そうですね。いい指導者に恵まれていれば、うまく機能するけれども、恵まれなくなるとそうではないというのは、独裁政でも同じことがいえるのではないかと思います。結局、独裁者が賢明なペイシストラトスみたいな人だったらうまくいくし、後にプラトンが「哲人皇帝」という理念を打ち出すのも、優れた見識を持った人が独裁政をやったほうがいいという考えからです。
●民主政は「マシなポピュリズム」という程度に思っていたほうがいい
本村 ポピュリズムとデモクラシー、あるいはポピュリズムと独裁政というのは、独裁政だから常に悪いというようなものではなく、むしろ民衆の問題です。私は、民主主義の定義は「マシなポピュリズム」だといっていますが、要するに民主政というのは、基本はポピュリズムなのだと思います。
基本はそうだけれども、それがマシな方向に進んでいれば「民主政」と呼んでもいい。でも、それが良くない方向、例えば民衆の独善的な意見に向けて突っ走っていくときは、現在悪い意味で使われている「ポピュリズム」ということになる。どちらにせよ、民主政は「マシなポピュリズムだ」という程度に思っていたほうがいいのではないかと私は思います。
―― 独裁政にもマシな独裁政とダメな独裁政がありますから、面白いというか、難しいですよね。
本村 そうなのです。
―― だいたい世界史を見ていると、王朝の最盛期をつくった人というのは、国家の予算を散々投入して外征に明け暮れる。だから版図は広がるけれども、その矛盾が後から出てきて、坂道を落ちていくようなところがあります。
民主主義でも、ペリクレスのように自制的にやっていればいいけれど、前回お話のあった後継者のようにシチリア遠征などを言い出し、皆がわっと乗っていくと、それをきっかけにダメになっていく。民主政にせよ独裁政にせよ、よりマシにする工夫のようなものは、いったいどこに秘密があると思われますか。
本村 もちろんそれには担当者が見識を持っているということが重要なのでしょうけれども、それ以前にやはり国民がそれを持っていないと、なかなかそういうふうにはいかないのではないかと思います。
●優れた指導者が出てくるには、国民の見識もある程度必要ではないか
本村 今のアメリカがどうなのかはまだ分かりませんが、かつてのヒトラーの時代についても、それは言えます。ドイツは、第一次世界大戦で負けたために非常に大変な負債を負うわけですが、ヒトラーはアウトバーンを造ったりして経済的に復興させ、それを支払うことに成功しました。最初から独裁者で“悪い奴”だったわけではなく、そういう面があって、のし上がっていったわけです。
―― ヒトラーは実際に非常に高い支持率をとっていった時期もありますね。
本村 ええ。だから、それが持続しなかったというか、軍事的なほうに走っていってしまったところが問題なのです。でも、結局それを民衆も支持してしまったということになりますよね。だから、優れた指導者が出てくる背景には、優れた国民なり、ある程度の国民の見識が必要なのではないかと思います。
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