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イタリアとイギリスの違いは社会主義との共鳴、その有無

独裁の世界史~ファシズム編(4)ムッソリーニ以後のイタリア

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
同時代の指導者に一目置かれたムッソリーニの最大のミスはドイツと同盟を結んだことだったかもしれない。しかし、第二次世界大戦後もイタリアには社会主義的な思潮が根づき、それが優れた文化力と相まって独特の存在感を国家に与えている。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:47
収録日:2020/01/30
追加日:2021/04/02
≪全文≫

●「時代がずれていた」ムッソリーニの登場


―― (ムッソリーニの)非常に不思議な点として、若い頃はレーニンに一目置かれ、買われていたところがあります。同時代の指導者の中では、例えばチャーチルなども比較的ムッソリーニには一目置いていて、話せる奴だと思っている感じがありました。もともと彼はかなり語学の達人だったので、いろいろな会議を回していたところもあり、ミュンヘン会談なども彼が引っ張ったと言われます。何か、人間として不思議な魅力がある人なのでしょうかね。そのあたりはいかがでしょう。

本村 そうですね。時代が違いますが、ビスマルクにもやはりそういうところがありました。プロイセンをドイツ帝国に仕上げた段階でとどめ、それ以上拡大しようとしなかったし、外交路線で非常に巧みにバランスを取っていったあたりです。ヒトラーの場合はそういうふうには言えないけれども、ムッソリーニの場合は、10年後に生れていたらと考えるとどうなったか、その意味では「時代がずれていた」ところがあるかもしれませんね。

―― そうですね。たぶんビスマルクと一番違うのは、外交的な政策ミスというところになりましょうか。ムッソリーニの場合は、政権を取ってから比較的早い段階の1935年に、まずエチオピアを攻めています。前回お話のあったローマ進軍が1922年で、1925年1月に議会で独裁を宣言した後、選挙法などを改正して独裁権力になっていきますが、この1935年にはエチオピアに侵攻してこれを併合し、イタリア帝国になるわけですね。

 その後、1936年から39年までのスペイン内戦ではフランコ側につきます。ここでドイツと友軍として戦うことにより、少し仲を深めていったのです。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、しばらくは局外中立の立場を守り、フランスが陥落しそうだということを見て、1940年にドイツ側に立って参戦します。このときに、おそらくイタリアの場合は、イギリス側に立って参戦する道も可能性としては選べたでしょうね。

本村 それは、あったかもしれませんね。結局、ドイツのやり方というのは、ムッソリーニとヒトラーの性格の違いもあるだろうし、国家のあり方としても、後進資本主義国として似通った出発をしているとはいえ、本来ならば日和見的であってもその時々の有利なほうで、帝国主義国家として自立していかなければいけない段階です。

 だからエチオピアを併合したり、より海外へ領土を広げに行って、アフリカの北側のほうはかなりイタリアが取っていきます。そういうことをやらざるを得なかった部分はあるのではないかと思います。

―― イタリアにとっては、結局ドイツと同盟を結んだのがある意味では「運の尽き」ということになるわけですね。もともとムッソリーニ時代、あの段階では国力的にイタリアは戦えないという分析もたぶんしていたのではないかと思うのですが、最終的には敗北していくことになる。ただ、最後まで社会主義共産主義的な理想というのは、本人の中ではやはり捨てないでいたのでしょうか。

本村 国家が主導する、国家社会主義的なものをつくりたいというのは、やはりあったでしょうね。


●社会主義運動の根づくイタリア、根づかないイギリス


―― 今のイタリアではムッソリーニの評価はどうなっているのですか。

本村 イタリアは戦後になっても結構、社会主義運動が強く、「ユーロコミュニズム」といわれるものの中心になっているわけでしょう。だから、そういうものが何か根づいているのではないかと思います。イギリスなどはそういう段階ではなく、ほとんど社会主義運動が根づかない。一方、イタリアでは、何らかの形で政党の中に社会主義的な理念がある。それは、おそらくムッソリーニが行ったことではなくて、イタリア社会の中にローカリズムとともに社会主義的な何かがあるのではないかと思います。

―― 強権といいますか、組織的なものという点で見ると、イタリア共産党にミニ・スターリンのように呼ばれる人が出てきたり、比較的強権的な方が出てきたりするケースもあるようです。

本村 共産党ではなくても、コミュニズムのような理念を持っているところが、小さな政党でもいっぱいあると思います。

―― ソ連やスターリンとの違いでいうと、スターリンのところは、冒頭でもお話があったように、東的な土地柄で、民主政、共和政、独裁政の伝統がない。ほぼ独裁政の伝統だけで来てしまったような国家がボリシェヴィキのボリシェヴィズムになっていくというところでした。イタリアの場合は、長い歴史の中でいろいろな政体を経験して、その中から出てきた独裁政ということになります。

 その後の戦後のイタリアの政治の流れなども含めて考えると、民主主義の中から、あるいは別の体制の中から独裁政が生まれてくる可能性をムッソリーニに引きつ...
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