●デジタル独裁と『カラマーゾフの兄弟』
―― これが最後の質問になると思いますが、このシリーズの中(※)で先生が紹介されたユヴァル・ノア・ハラリの「デジタル独裁」という概念についてです。
一つには、自由になった国民が、もう一度AIによる判断を求めるという要素もあるでしょう。あるいは今の中華人民共和国が典型的にそうですが、AIの技術を使って『1984年』の「ビッグ・ブラザー」のような社会が本当にできてしまったような状況も出現しています。そういう「デジタル」が入った場合の独裁・共和政・民主政については、まだ形がないのですが、予感的なものとしては、どういうふうになっていくと思われますか。
本村 デジタル的なものの独裁に関しては、それ以外の官僚制の進展にも関わりますが、『カラマーゾフの兄弟』の中に大審問官の話があります。これは次男のイワン・カラマーゾフが話す想定上の物語ですが、一つの大きな集団を大審問官という人物が治めています。とにかく集団をそれなりに豊かにしてあげれば、あとはもう嘘八百並べてもいいぐらいの状況です。
『1984』でもそうなのですが、そういう大きなシステムができてくると、どんどん専門分化が進んでいって、全体が見えなくなりがちです。そして、大きな集団の生活や社会秩序を安定させていくのは大変なことだから、統括にあたる部分に必要なのは、正義や正しさ、真実ではありません。みんながそう思いたければそう思っていいというか、むしろトップに立つ者が真実を決める。それに則ってみんなが行動していけば、それなりにみんな豊かな生活ができるというシステムです。
これは今、中国共産党がやっていることはそれに近いようなところがあるし、それをデジタル化すれば、ますますその行為は正当化されていきます。結局、19世紀半ばにドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』で想像していたような社会が、それからおよそ200年後の21世紀の半ば近くになっていくと、本当に現実になりつつある。一つには単純に人間の規模が大きくなったからであり、専門分化が進んできたからです。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、大審問官の話以外にも非常に面白い逸話があります。患者が「右の鼻の具合がおかしい」といって耳鼻科に行くと、「いや、私はそれは扱えない、左の鼻の穴の専門家だからです」とはねのけられたという話です...