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『カラマーゾフの兄弟』の予言通りデジタル独裁へ進むのか

独裁の世界史~未来への提言編(10)もっと「マシなポピュリズム」へ

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
中国共産党がデジタル独裁の将来へ着々と進む中、自由主義・民主主義陣営は反撃のための模索を始めている。しかし、西洋はローマ法に基づき、中国は刑法を中心に発展してきた社会である。日本はその双方を理解することができる存在として、どのような道を取るべきなのだろうか。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:18:12
収録日:2020/08/07
追加日:2020/12/25
カテゴリー:
≪全文≫

●デジタル独裁と『カラマーゾフの兄弟』


―― これが最後の質問になると思いますが、このシリーズの中(※)で先生が紹介されたユヴァル・ノア・ハラリの「デジタル独裁」という概念についてです。

 一つには、自由になった国民が、もう一度AIによる判断を求めるという要素もあるでしょう。あるいは今の中華人民共和国が典型的にそうですが、AIの技術を使って『1984年』の「ビッグ・ブラザー」のような社会が本当にできてしまったような状況も出現しています。そういう「デジタル」が入った場合の独裁・共和政・民主政については、まだ形がないのですが、予感的なものとしては、どういうふうになっていくと思われますか。

本村 デジタル的なものの独裁に関しては、それ以外の官僚制の進展にも関わりますが、『カラマーゾフの兄弟』の中に大審問官の話があります。これは次男のイワン・カラマーゾフが話す想定上の物語ですが、一つの大きな集団を大審問官という人物が治めています。とにかく集団をそれなりに豊かにしてあげれば、あとはもう嘘八百並べてもいいぐらいの状況です。

 『1984』でもそうなのですが、そういう大きなシステムができてくると、どんどん専門分化が進んでいって、全体が見えなくなりがちです。そして、大きな集団の生活や社会秩序を安定させていくのは大変なことだから、統括にあたる部分に必要なのは、正義や正しさ、真実ではありません。みんながそう思いたければそう思っていいというか、むしろトップに立つ者が真実を決める。それに則ってみんなが行動していけば、それなりにみんな豊かな生活ができるというシステムです。

 これは今、中国共産党がやっていることはそれに近いようなところがあるし、それをデジタル化すれば、ますますその行為は正当化されていきます。結局、19世紀半ばにドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』で想像していたような社会が、それからおよそ200年後の21世紀の半ば近くになっていくと、本当に現実になりつつある。一つには単純に人間の規模が大きくなったからであり、専門分化が進んできたからです。

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には、大審問官の話以外にも非常に面白い逸話があります。患者が「右の鼻の具合がおかしい」といって耳鼻科に行くと、「いや、私はそれは扱えない、左の鼻の穴の専門家だからです」とはねのけられたという話です。それは極端な話ですが、それぐらい専門分化が進むということです。

 そういう形で全体の規模が大きくなってくると、自分たちがやっている活動それぞれの全体に対する意味など、まったく分からなくなってきます。そのときに、全体を考慮しながらパソコンやアルゴリズム、計算化の中で、デジタル的に判断するものは、人間ではない一種のカリスマになるわけです。

 だから、そうした彼に判断を委ねることはあり得るし、実際にそれを目指している。『カラマーゾフの兄弟』で予言されたようなことが現実に起こりつつあり、全体主義的な動きの中でそれを起こそうとしているのが、中国共産党のやっている方向性なのかと思います。


●自由主義・民主主義陣営の反撃する道


本村 それに対して、自由主義あるいは民主主義が反撃できるのかということが一つあります。

 では、アメリカやEU、日本も含めた勢力が、人間の自由な意志を自由連合のような形で集めることはできるのか。もちろんフランスやヨーロッパなどはそういうルールがしっかりしているから、そのルールは必要です。中国と欧米諸国との違いは。基本にローマ法があるのか否かというところであり、中国は刑法により取り締まりを行い、悪いことは国家が処罰します。

 ですから、私は『阿Q正伝』(魯迅)を参照したいと思います。阿Q自身が最後に革命に加担したかどうかはかなり疑わしいことですが、彼が流行りに乗って集まりに入っているうちに、それを追及する奴がいた。「あいつならやりそうだ」ということで、結局、最後には処刑されます。

 そのとき、周りの世論はどう言ったかというと、「阿Qが悪いことをした。銃殺に処せられたのが何よりの証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずがない」つまり、銃殺されて処刑されたのは悪いことをしたからだということで、処罰のほうが先に来るわけです。

 これは実に、中国が何千年もかけて刑法を中心とした社会をつくっているからで、そのところをよく理解しないと中国は分かりません。欧米諸国が中国を理解できないのは、そういう面が知られていないからです。中国社会はローマ法的な民法を土台にしているのではなく、刑法を土台にしている。「悪いから処罰される」という考え方を身につけている国民だから、中国社会の中ではそれで通るわけです。


●東西の価値観両方を理解できる日本の取るべき道


―― 東西の価値...
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