●派閥政治がなくなり、議論をしっかりとする場がなくなった
―― 今回は少し話を変えますが、『独裁の世界史』シリーズで非常に印象深かったのが、まさにローマとヴェネツィアだと思っていました。独裁にならないよう、非常にうまい制度設計をしていった歴史があったからです。それは当然、長い歴史の間でいろいろ変遷はしていくわけですけれど、二つの事例において共通のベースだったそのことが大きく働いた点が、とても印象深かったですね。
かたや日本の場合、平成に入ってからの政治改革ではどちらかというと政治主導のようなことが掲げられました。例えば官邸機能を強化するとか、ちょっと権力を強めていくとか。見方によると、今まで分立していた権力のどこかを強化するというイメージの強い改革を、もしかすると安易にといいますか、あまり深く考えることもなく進めてしまったのではないかということです。
その結果から生じた混乱が今の姿になったとすると、ローマやヴェネツィアとはやや様相が違い、逆のベクトルが働いたような感じもします。ローマ、ヴェネツィアと平成以降の日本を比べたときに、何か印象に残るところはございますか。
本村 私自身は現代の政治について、専門に研究をやっているわけではないのですが、御厨貴先生と一緒に対談本(『日本の崩壊』祥伝社新書)を出した時に感じたことがあります。「派閥政治は必ずしも悪くなかったのではないか」と御厨先生はおっしゃいました。
というのは、派閥政治の中でいろいろな人たちがかなり濃密に政策談義を行っていたからです。その中で、政策の進め方が詳細に練り上げられていったのに、それがなくなってしまった。さまざまな人脈が動いたり、「この派閥から何人出す」などの談合があったため、結局は派閥政治の悪い面だけが捉えられましたが、官邸主義になっていくことで、そうした派閥政治の中で引き止めていた部分がなくなってしまったのは事実です。
もちろん一方には官僚制という要因もあるので一概には言えませんが、派閥政治によって政治家たちが一つの集団として、自分たちのグループの利権もあるでしょうけれども、それと並行して政策をきちんと議論していたわけです。その場所がなくなったのは、一つの大きな問題ではないかと思います。
●ローマのファクティオとゲマインシャフト
本村 問題は、どういう形でそういう政...