●独裁者が権力を延長したいのは、報復を恐れるから
―― かたや、このシリーズ講義で見てきたフランス革命やロシア革命の場合は、革命を行ったがゆえにずっと危機だった。フランスでもソ連でも革命に対する干渉戦争が起きました。国内では「危機だから独裁」という論理で独裁が先鋭化していったため、どんどん粛正や虐殺のような厳しいことが起きてしまいます。今、先生がおっしゃったように、危機においては独裁が当たり前だが、だからといって独裁がいいわけではないというのは、まさにそういう部分になりますでしょうか。
本村 その通りです。
―― 独裁者側としては比較的長期にわたって危機を演出し続けて、権力を強化し続けたいというところも多分にあると思います。そのあたりは、どのようにして阻止しなければならないと思われるのでしょうか。
本村 それは「独裁政は基本的に悪いことだ」という意識を持つことです。ローマ人がそのあたりの意識をきちんと持っていました。
―― きちんとそう思っていることが大事なのですね。
本村 独裁というのはあくまでも緊急事態・非常事態に必要なだけであって、そういうことがないほうが望ましいという捉え方です。そういう基本的な認識があるとないとでは大違いです。
フランス革命以後の人権思想の定着した国々には、根強い伝統があります。今回のコロナや戦争などの問題が起こったときに一時的に独裁政的なものが起こっても、です。
ではなぜ権力を延長したがるかというと、どこかで悪いことをしているという意識があり、自分たちに敵対する連中を圧殺したりするのは、権力を失ったときの怖さがあるからです。
―― つまり、その報いが自分に返ってくると。
本村 そう、これはどこでもそうです。ローマにしても、それほどひどい独裁政を取らなくても、皇帝に就くともう独裁者と見なされます。たとえ悪帝と呼ばれたネロやカリグラのような皇帝ではなくても、やはり皇帝に対して反感や違う意見を持っている人たちが当然います。そういう者たちを、どういう形で抑え込んでいるか。
●ローマ史における独裁=皇帝と元老院の攻防
本村 典型的にはハドリアヌスの場合です。五賢帝の中で3番目のハドリアヌスは、元老院貴族には最後まで嫌われていました。実は彼が皇帝になった初期の段階で、本当にトラヤヌスがハドリアヌスに皇帝の地位を譲ったのかというのがあいまいだったのです。そのため、彼は元老院貴族の中でそうした意見を出した3~4人を処刑してしまいました。
これは、ローマの元老院貴族にとっては決して許せないことです。彼の治世は20数年でしたが、元老院貴族からはずっと反感を持たれていました。彼の最後に対しても、「皇帝は亡くなったら神になる」という不文律があるにもかかわらず、元老院は彼を神にすることを渋りました。
彼の後任はアントニヌス・ピウスという人物で、「ピウス」はラテン語で「敬虔なる」という意味ですから「敬虔なるアントニヌス」という意味になります。彼は元老院に対して「自分はハドリアヌスによって皇帝になった。私が皇帝になったからには、前帝であるハドリアヌスを神なる存在にしなければいけない。もし元老院諸氏が彼を神にしたくないと望まれるのなら、私を皇帝にしないでくれ」というぐらい強硬に主張しました。
この皇帝はハドリアヌスに対して非常に忠実だったというので「ピウス(敬虔なる)」というあだ名ができたといわれます。逆にいうと、ハドリアヌスはそれくらい元老院貴族に嫌われていたということです。
ローマの皇帝にはひどい人もいましたが、基本的には独裁者ですから、だいたいにおいて反感を持つ人たちがいました。自分が権力をなくすと、そういう者たちからどんな目に遭うか分からない。自分ではなくても、自分の家族がどんな目に遭うか分からないという怖さを持っていました。
●集団合議の大切さを3000年で学んだヨーロッパ
本村 ローマの皇帝の中では唯一ディオクレティアヌスだけが自分から退きました。病気がちだったということもありますが、自分から退くのはある意味、大変なことです。それだけ彼には力があり、実際に皇帝を退いた後も隠然たる力を持っていました。それくらいの力を持っていないと、あえて自分から退くようなことはできない。だから、だいたい亡くならないかぎりは退かない。そういうことだったのではないかと思います。
独裁政というのは、スターリンだって、ヒトラーだって、ムッソリーニだって結局かなりの敵対者を圧殺しているわけだから、それは20世紀になってからのことですが、当然ながら自らの独裁政は延長したいということで、前近代社会の中でもそういう要素があったと思います。
―― やはりそのあたりが、先ほど先生が強くおっしゃった「独裁政が悪い...