テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

ロシア革命を共和政的に行うことは可能だったのか

独裁の世界史~ソ連編(2)レーニンのリーダーシップ

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
ロシア革命(Demonstration in Batum in 1917)
出典:Wikimedia Commons
革命は社会正義実現のために行われるが、その達成には幾多の困難が伴う。ロシア革命の場合は、「世界同時革命か、一国社会主義か」が岐路となったが、そうした中、レーニンはリーダーとしてあり方をどう考えていたのか。また、ロシア革命を独裁的ではなく、共和政的に行うことは可能だったのか。当時の状況を踏まえて考えていく。(全4話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:00
収録日:2020/01/30
追加日:2021/02/19
タグ:
≪全文≫

●革命の指導者レーニンと、二つの革命思想


本村 レーニンを一口に「独裁」と言ってしまっていいかどうかは分かりません。けれども、革命運動の渦中、いろいろな人が主導権を握ろう、自分の意見を通そうと戦う中で淘汰が起きるので、どうしても独裁者にならざるを得ない。少なくともそう振る舞わないと自分もやられてしまう局面だった。そういう意味での独裁権力を、ボリシェヴィキのリーダーとして確立していったと思います。

―― そのあたりは、以前にお話をうかがったフランス革命のときのジャコバン派のロベスピエールたちが独裁に向かう流れと、軌を一にするところがあるということでしょうか。

本村 そうですね。レーニンの場合は反対派を粛清する形は取らなかったけれども、追放など、いろいろな形で排除していきます。彼は最初、スターリンを非常に信頼しています。スターリンもレーニンに対してかなり信奉しているところがありました。また、レーニンはトロツキーも非常に信頼していました。

 そうした革命運動の中、結局ロシアは革命を起こしたけれども、周りの国々はそういう事態に至っていない。けれども、一つの国では結局つぶされてしまいかねないというので、周りの国を巻き込んだ「世界同時革命」という動きが出てきます。それが、最終的にはトロツキーが取った戦略です。

 スターリンのほうは、どちらかというと、とにかく一国でそれを充実していかなければいけないという、今の「民族社会主義」の思想を鮮明に持ってきます。

 レーニンはどちらにも偏らなかったのですが、どこかで少し一国社会主義的なものに対する懸念を持っているところがありました。だから、彼は最終的にトロツキーを退けないで、むしろ「スターリンを議長の座から下ろせ」と遺言なども残したと言われます。


●レーニンはフランス革命にリーダーシップを学んだのか


―― (スターリンについては)けっこう乱暴だということを懸念していたという話もありますね。

本村 そうですね。それから、もともと一国社会主義的なものを持っていたからでもあると思うのですが、はっきりトロツキー路線だったかどうかはまだ分かりません。レーニンが亡くなった後、路線がはっきり対立してきて、トロツキーが追放され、やがて殺されてしまうという流れになるわけです。

 レーニンという人は、革命の大変な主導権争いの中で、ある程度独裁的な権力を振るっていかざる得ない立場だった。もともとの性格はどうなのか分かりませんが、彼は自分が最終的なリーダーシップを振るえるようになって以来、「弱気になってはいけない」という意識を非常に強く持っていました。最後は病に倒れますが、彼が自分の下にいた人々から恨まれたり、陰謀にあったりするようなことは、表立っては最後まで起こりませんでした。

 だから独裁というか、ある種の革命運動の中でそうならざるをなかったところがありました。フランス革命のロベスピエールなどが、やはりある時期、かなりそういうところがありましたが、彼は反対派をどんどん処刑していって、最後は自分もまたギロチンにあうという流れになってしまいます。(レーニンは)それより後代の人なので、やはりそういうことはどこかで学習しているのではないかと感じます。

 そういうときのリーダーのあり方ですが、フランス革命の場合は、よくローマに学んだと言われます。一方、ロシア革命の場合は、もちろんリーダーの資質にもよるのですが、革命のときのリーダーシップのあり方をフランス革命から学習した部分もあるのではないかと思います。レーニンに関しては、独裁者だといっても、あと20年ぐらい生きて権力を持っていたらどうなったかは分かりませんが、少なくともスターリンのようにはならなかったのではないかという気がします。


●共和政的なロシア革命はあり得たのか


―― 今回「独裁の世界史」シリーズでうかがってきたのは、「独裁政」「民主政」「共和政」という三つの流れのそれぞれの要素がどう歴史に影響してきたかということです。ロシアという政治風土を考えた場合、この頃は当然まだ民主政的伝統はあまりないわけですね。

 ロシアのツァーリズム(皇帝制度)自体も独特で、どこかモンゴル帝国の流れを引っ張っているような、かなり強権的な皇帝制度のようでした。あくまでも仮定上の、仮説的なお話として聞きたいのですが、ロシア革命を共和政的に行うということはあり得たのでしょうか。

本村 私は、できなかったと思いますね。なぜなら、民主的なものや共和政的なものに対する知識が、一部の知識人にはあったかもしれないけども、民衆レベルにはほとんど欠けていました。民主政や共和政が根づくには、例えば民衆の高い識字率や読み書き能力などといった種類のものが背景にないといけないわけです。...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。