●政治家としてのプーチン氏が歴史や文明論を語るとき
皆さんこんにちは。
政治家としてのプーチン氏、あるいは知識人としてのプーチン氏、彼は歴史家としてのプーチン氏として語ることがあります。しかし、政治家としてのプーチン氏が、文明論を語り歴史を語るプーチン氏と重なったときには、ある種の危険性、特に軍事的行動に関する発言がなされ、実現された場合、その軍事行動の正当性や違法性をどのように世界に対して弁明するのかという問題が、当然に生じるわけです。
ところが、プーチン大統領はこの点に関しては実に寡黙です。彼は今回のこの戦争について(そもそも戦争という名称を使っていないのですが)、こういう一方的な侵略、戦争の正当性、違法性の如何について、世界に対して語ることは全くないのです。
国連安保理(国連安全保障理事会)として、本来であれば世界平和を担保し、紛争を除去し、起こり得る戦争や不安定を未然に防ぐ義務を負っていますが、しかしその安保理の常任理事国のロシアが毎回やっていることとしては、拒否権の行使や自らの戦争責任の否定に終始しているのが現実です。
ヨーロッパやアジアの区分も違いも超越した独特なユーラシア国家として、文明論的な使命を彼が持つのは自由です。しかし、そういう使命を持つからといって、それを軍事的に達成しようということになれば、話は全く別ものになります。これは平和論、あるいは安全保障論の観点からして、まことに由々しいことです。
●ロシアが20世紀以降に経験した四つの転換点
山内 ここで20世紀以降ロシアの経験した、世界史を大きく転換させることになった四つの事件、四つの大きな変化について、今回のウクライナ侵攻との関連で少し触れてみたいと思います。
その第一は、ロシアが1904年から1905年にかけて行った日露戦争であり、日露戦争における敗戦体験です。この体験は、その後の同じ時期の第一次ロシア革命に続きます。これによってロマノフ朝は大きく揺らぎ、1914年に始まった第一次世界大戦の途中における1917年の二つのロシア革命によってロマノフ朝のロシア帝国は解体します。それにかわって世界史で初めての社会主義国家としてのロシア(ソビエト連邦)が、史上初めて登場したということになります。
第二は独ソ戦、すなわち世界史的には第二次世界大戦と呼ばれる大きな戦(いくさ)です。ソ連では通常「大祖国戦争」「Великая Отечественная война」 (velikaya otechestvennaya voyna)と呼ばれ、歴史的な事業とみなされました。
今日に至るまでソ連(ロシア)は、この大祖国戦争の勝利を歴史的な誇りと捉え、子の代にまで教えていく重要な歴史の成果として誇っています。しかし、全てのことが大祖国戦争によって正当化されたり、侵略や侵犯行為なども大祖国戦争という過去によって帳消しにされたりするものでは、全くありません。
この大祖国戦争は、例えば第二次世界大戦後、独ソ戦後の東欧圏国家をソ連の勢力圏(ソビエトブロック)としていくために、その意味と成果が利用されたりしました。何よりも、自分たちは連合国であること、そして大祖国戦争の遂行者としての功績、これらのもとに、重要な事実が二つ隠されてしまいました。
それは何かというと、まずスターリン体制です。この体制が持っていたすこぶる非人間的な強制(収容)所社会、強制(収容)所群島としてのソ連社会の暗黒部分が、隠されてしまうためにも使われたのです。
それに加えて、スターリンによる大粛清があります。これは共産党内のみならず、共産党外の一般市民にまで幅広くわたった「血の粛清」です。この粛清の歴史的な意義を正当化することになるような歴史的解釈が、大祖国戦争を使って行われたということも無視してはならないかと思います。
第三の大きな事件は、まさに1989年の冷戦の終結、それに伴うソ連とソ連共産党の変容によって、1991年にソ連が連邦国家として解体したという巨大な事件です。このソ連の解体が、大ロシア国家を最終的に分裂させたわけですが、ただ、この事件は悲劇ではあったものの、ロシアに組み入れられたり、ソ連に付属していたような国々、例えばバルト三国やコーカサス三国、中央アジアの国々の人々にとっては、初めて市民的自由を得る契機になりました。また、これらの国々が民族共和国として主権独立国家の道を歩む道を開いたという歴史的意義をも、一方においては持っているわけです。
こうした三つの大きな事件は、前回に触れたピョートル・チャーダーエフの言葉に従うならば、「ロシアが正負(プラスとマイナス)の教訓を世界史的に示した例といえるかもしれない」わけです。
●21世紀に起きたウクライナ侵攻と祖国解放戦争
第四の大事件とは何かと申しますと、まさに今回ウクラ...