●ロシア音楽の名作が描いた侵略と戦争
今日は、最近出されたロシア中世史に関する大変興味深く重厚な研究書で、中世ロシア語による解説文入りの細密画を数多く入れられた美術書の趣きもある書物を手がかりに、現在のウクライナ情勢を考えてみたいと思います。
その書物は美術と歴史に関係するものですが、私のほうは週末にボロディンの「イーゴリ公」という曲を聴いてきました。もともとこの曲から取られた「韃靼人の踊り」というパートが、特によく知られています。
久しく機会のなかった演奏会でしたが、たまたま出かける機会を持ちました。これは、ロシアの英雄であるイーゴリ大公を描いたもので、イーゴリはいろいろに誤解され、異民族と戦うとか韃靼人すなわちタタール人と戦うなどといわれますが、どうだったのでしょうか。
「タタール」というのはしばしば東欧の諸国一般を呼ぶ言葉として用いられます。その中にモンゴル人が含まれていて、後ほど解説していく書物に出てくるのはモンゴル人です。しかし、これとは別にトルコ系の民族として「タタール」と言われる人たちもいました。これらが一緒になっているところがあります。
彼(イーゴリ公)はタタール人と戦うのですが、イーゴリもタタール人も究極的にはお互いを称え合っており、互いの勇気や活力、伝統をほめ合います。そして、双方が共存・共栄しようというように、互いを尊重するモチーフによって物語がつながっていきます。ボロディンは、これを非常に見事な曲で表現しました。
そして私は、今朝家を出る前にチャイコフスキーを聴きたくなり、慌ただしく「大序曲『1812年』」を聴いてきました。これは、まさにあのナポレオン、すなわちフランス人からのロシアの解放を高らかに称え上げた愛国の讃歌、愛国の交響曲であることはご案内だと思います。
ここでは、(フランス国歌)「ラ・マルセイエーズ」が重要なモチーフになります。最初は高らかに鳴るけれども、最後にはしぼんで惨めに終わっていく。つまり最初は征服するかのような勢いできたフランス人だけれども、最後はロシア人をはじめとするスラブ諸民族や他の民族たちの抵抗によって駆逐されていく。「ラ・マルセイエーズ」はつぶされながら、惨めな形で帰っていく。最後は高らかにトランペットやティンパニーによるフィナーレが鳴り響く。実に素晴らしい終末で知られている作品です。
●絵入り年代記が描くロシアの歴史とキエフを征服した皇帝バトゥ
そういうことで、私がロシア音楽を聞いてみたくなったのは、(先述したように)美術書の趣きを持ちつつ歴史書として素晴らしい内容を持つ書物から、著しく詩的な刺激を歴史家として受けたからかと思います。
その本は大変立派な書物で、『「絵入り年代記集成」が描くアレクサンドル・ネフスキーとその時代』(成文社)という長いタイトルです。内容としては、ロシア帝国における絵入り年代記を通して歴史を語っていくスタイルの書物です。掲載されている絵(細密画、ミニアチュア)は296点。これらを解説的に研究された本です。
すなわち、「ロシアとは何か」「ウクライナとは何か」ということを考えるときに、大変参考になる基礎的な書物です。
この書物の中に、ある絵の解説としてこういう表現があります。
「かれは町(キエフ、現在でいうキーウ)を見て、その美しく壮大であることに驚嘆した。そして自分とともにいる者たちにむかってつぶやいた。『この地はまことに驚くべきだ。町の美しいこと、その壮麗なことは見事である。もしここの人々がツァーリ(皇帝)Xの力と壮大な事業を知ったなら、かれに服従するだろう。」
こういうものが、ある細密画に付されている表現になります。続いて、こうも言っています。
「(かれらが)〔反抗して〕この町とこの地が破壊されるようなことはしないだろう。」
しかし、キーウことキエフの人々は、Xと部下の「かれ」なる人物に頭を下げることはありませんでした。そして、戦い続けたということがこの年代記に書かれています。
すなわちXとは誰かというと、「タタール」と俗称されたモンゴル人、かつての大きなモンゴル帝国の支配者の一人バトゥ・ハーン(抜都)という人物です。また、「かれ」とはメングカクといわれる司令官であったということです。
バトゥ・ハーン(抜都)は、たくさんの領土・たくさんの都市を征服したことから、「都を抜く」という中国の漢字が当てられたといいます。「かれ」ことメングカクは、大モンゴル帝国のハーンになるモンゲのことです。このバトゥとモンゲ(メングカク)のコンビによってロシアは征服されたのです。
●ウクライナ侵攻を歴史的にさかのぼって考えるために
さて、こうしたことを踏まえ...