●アメリカとの溝を深めていったロシア外交の経緯と排外主義傾向
外交について申し上げますと、実はプーチンが大統領に就任して9.11(アメリカ同時多発テロ)があったときに、いちばん最初にブッシュ大統領に電話をしたのはプーチンでした。彼は9.11を見て、このイスラム原理主義には、ロシア国内でチェチェンのイスラム原理主義を抱えておりましたから、共通の敵として協力しようという姿勢を示したのは確かだったのです。
それが、次第にだんだん溝が広くなっていきます。よくいわれますね。やはりNATOの拡大、それからカラー革命、そしてチェチェンの指導者の亡命をイギリスやアメリカが許可したこと、さらには2008年のジョージア紛争、2014年のクリミア併合と、ずっと悪くなっていきます。
プーチンは、しばしばNATOの拡大を利用しながら、「ベーカー(元アメリカ国務長官)は約束したではないか。東西ドイツの統一のときにNATOは1ミリたりとも拡大しないと約束したではないか。それを破った」ということを何度も繰り返して言っているのです。
よく考えてみれば、NATOの加盟というのは加盟条件があって、加盟国によって決められていくのであって、過去のアメリカの国務長官が将来を縛る権利なんてないわけです。
いちばん最初に入ったグループはチェコとポーランド、ハンガリーの3国ですけれど、この3国は、実は戦後にワルシャワ条約機構が侵攻していった国なのです。
だから、そういうロシアに対する苦い思い出、苦い記憶が、彼らをしてNATOに入ろうとさせたということは、いわば自業自得な面があるといわざるを得ないだろうと思います。
戦争が始まった2022年2月から、全体の目は西側からいわゆるグローバルサウスに向けて大きな転換をしていました。この傾向は非常に強くなります。
2022年から2023年11月までの間、ラブロフ(ロシア外相)が何回会談をしたかを調べてみました。366回会談しているうち、西側の会談はたった20回です。特にこの戦争が始まってからの大きな変化というのは、西側とは距離を置いてグローバルサウスに目を向けた外交を展開しているという姿になります。
内政、経済、外交の3つの大きな変化に共通しているのは、いってみれば、ロシアは内政的にも非常に内向きになっているし、経済もそうなっています。外交的に...