●ウクライナがロシアとの和平を結ぶタイミング
皆さん、こんにちは。第2話は、アネクドート、すなわちコメディアンであったゼレンスキーが一流の政治家になり、そして政治家であったプーチンが三流のコメディアンになったという話で終えたのですが、考えてみますと、このウクライナはまことに信じられないほどの苦境に立たされたわけです。
ほとんど言いがかり同然、何もその根拠がない、いきなり軍事力で自分の家にズカズカと戦車が入ってきたわけですから、たまったものではありません。誰だってこういうときは大きなショックを受けますが、この信じられないほどの苦境に立ったときに、ゼレンスキーという人は、前任の大統領たちがおそらく果たし得なかったほど、彼らがむしろダメージを与えていた国の危機において、誰が仮にその場所にいても難しい仕事を今ゼレンスキーが進めているということについては、ほとんどの人々が敬意を持って見ているのではないでしょうか。
ゼレンスキーが問われるのは、そのような、ある意味で一流の政治家として試練をくぐり抜けている彼が、いかなるタイミングで、そしてどのような条件のもとでロシアとの和平を結ぶのか、ということです。これは結ばざるをえないのです。永久革命、100年戦争をやるというようなことは全く不可能なことです。そうすると、どこかで欧米も武器をずっと援助し続けるわけにいきません。あるいは経済支援を続けるわけにもいきません。どこかでゼレンスキーは、ロシアとの間の紛争解決に入ってほしいということになります。このタイミングはどこかということになります。
粘ること、あるいはとにかく徹底してロシアを打ち負かしていくために持久戦に持ち込んでいくこと、これが自己目的になりますと、アメリカ・ヨーロッパの力も尽きてしまいます。つまり、持久戦をやってロシアにダメージを与えたことで得られていた果実もまた、無駄なことになりかねないわけです。
●持久戦争を打破する決戦への戦略的な転換
ちょうどローマ史において、ファビウスは執政官(コンスル)を何度も受けて、ローマ人たちをカルタゴとの戦いで勝利させていくためにさまざまな工夫をしていきます。その工夫の大きなものは、持久戦争へ持ち込むということでした。したがって、20世紀の兵学的な思想、日本陸軍の石原莞爾の言葉を考えると、ファビウスが考えているのはどちらかというと持久戦争だったわけであって、どこかで大きな会戦をやって敵を殲滅するという決戦戦争を回避していたという見方ができます。
しかしそうすると、この戦争はいつまで続くのかということに対して答えが出ないことになります。それに対して、いわば大胆な判断と果断なる勇気を持って決戦を挑む、その決戦も単に正面から普通の方法で選ぶのではなくて、思い切った戦略的な発想の転換によって、誰も考えなかった方法、例えば、ハンニバルは敵の本拠地であるローマに接近しローマに圧力をかけているのだとすれば、我々は地中海を横断して長躯、カルタゴをつくと、武田信玄・上杉謙信の戦におけるような、大胆不敵な戦でありますが、こうしてカルタゴの根拠をついたのです。
そうすると、ハンニバルは祖国の危機に面して、ローマどころではなくなり、ローマから今度は本国に帰り、決戦を挑むのです。ローマ側のスキピオ・アフリカヌスと呼ばれた人物がその指揮をとります。スキピオこそが、持久戦ではなく思い切って戦略的な発想の転換を遂げて決戦へ持ち込もうということでハンニバルを引き出して、ザマにおいて完膚なきまで相手に打撃を与えて勝利を得たのです。
これはファビウスにはなかった幸運がスキピオにあったからだと考えるべきというよりも、むしろファビウスが拒否していた、あるいは積極的に選ばなかった、いわば決戦、あるいは勇気果断な正面からの対決を、とにかくどこかで示さなければならないという戦略的な発想の転換をしたということです。
したがって、いわば異質な知恵、そして果断な勇気によって最終的な成果を上げたのはスキピオです。ファビウスと同じようにただ持久戦をしているだけでは駄目だと、おそらくゼレンスキーも考えています。
ですから、ゼレンスキーも積極的な攻勢をどこかで取るかもしれません。 もし取れなければ、ゼレンスキーに代わって戦略的な判断を転換させるような人物が出てくるかもしれません。
いずれにしても、現在のウクライナ戦争は、ゼレンスキーという優れたリーダーのもとにありながらも、そのリーダーシップをただ延長し、リーダーシップを同じような形でやっていたのでは、なかなか前に進まないというたいへん難しい時期に来ているということだけはいえるでしょう。
おそらくゼレンスキーは、この春(2023年春)に大規模な反撃を企てるものと私は...