●一党統治と恐怖政治を支えた恐るべきシステムと発想
―― 先生、どうもありがとうございました。
山内 どういたしまして。
―― このプーチンという人間を育てたのは、ソビエトの体制なのか。彼はノーメンクラトゥーラという階層なのか、KGB出身なのか。「ソビエトの体制が生み出した人」と見てよろしいのでしょうか。
山内 そう見ていいと思います。そのことは二つの要素から見えてきます。まぎれもなく一つの要素は、政治の実行や政治政策の実行のプロセスにおいて、暴力やテロ、粛清というものをためらわなかった点です。
1917年の十月革命以降のソビエト国家、ソビエト連邦の体質には、GPU、その前は「チェーカー」といいますが、いずれもKGBや今日のFSBにつながる公安機構です。そこは刑法などの法の支配を超越する存在です。言い換えれば、検察庁や検察官あるいは刑事警察、これらの根拠になる刑法などを超越する官庁です。まさに「シロヴィキ」につながるような、超越官庁としての役割を持っていました。
彼らの判断において法を超越するわけだから、為政者(独裁者)であればなおのことです。ちょうどスターリンがそうだったように、独裁者の意思により公安や秘密警察をおさえ、それらを統治の手段として、ある場合は権力闘争の手段としても使うわけです。
そういう伝統が、KGBを経てFSBにつながっています。そして、その伝統としてフェリックス・ジェルジンスキーという人物がいました。現在のFSBの庁舎は「ルビャンカ」という場所にあります。ここは、ソ連時代にはジェルジンスキーの名を取って「ジェルジンスカヤ」と呼ばれていました。「鉄のフェリックス」と暗喩されたロシアにおけるチェーカー(秘密警察)の最初の長官が、フェリックス・ジェルジンスキーです。
その名称は、ソ連時代を通して地下鉄の駅名にも使われていました。そこを通るたびにモスクワ市民たちはジェルジンスキーから取った「ジェルジンスカヤ」の名を聞き、「鉄のフェリックス」「秘密警察」「粛清」「テロ」などを連想せざるを得ない。そのような連想が毎日繰り返されて、恐怖が内在化して組み込まれるような社会に育ったのです。このような恐怖を統治手段として使う体制ですから、統治者は次々に代わって今日まで至っているとはいえ、ジェルジンスキーに始まる恐怖的な統治、共産党の重要な政治手段としての秘密警...