●大国との協調から実力行使へ――分岐点は2008年ジョージア問題
―― そこもロシアであるというイメージですね。そのような中で、今のプーチン大統領につながってくるというところだと思うのですけれど、プーチン大統領のこれまでの歩みはどう見ていらっしゃるのですか。
山添 プーチンは2000年に初めて大統領になります。当時も、1999年からのチェチェンに対する軍事作戦でかなり強硬なこともやってはいたわけで、外から批判を受けるようなこともやっていたのです。ただ、例えば2005年の大統領教書演説の内容の全体を見ていると、プーチンは「ロシアはこれまで、民主的に自由を求めて300年も発展していたのだから、その道を続けるのだ」と言っています。「自由はロシアにはなじまない」というような意見に私は与さない、それは反対をするということです。
これは、ナチスドイツとの戦いでイギリスやアメリカやフランスと共同で勝ち取った、自分たちの国の功績を思い起こして、彼ら大国と協調していくのだということで、それは自分たちの民主的発展、近代的発展の道だといっているのです。その一部に、「ソ連の解体は地政学的な悲劇だった。ソ連に戻ることはしないが、それで苦しんだ人々もいる。今、旧ソ連地域の中で、ロシアではなくなった国々の中で不当に扱われているロシア系住民がいる、これは問題である」ということを言っています。
つまり、イギリス、アメリカなど大国と協調して、ロシアも民主・自由の国として発展させる。かつ、ロシアは声をあげて、旧ソ連諸国のロシア系住民の権利を守りたい。というような願望も見えているわけです。ただ、そのために軍事力でも何でも使いますとは言っていないし、実際にそこから後の政治を見ても、そのようには動いていないのです。
―― それがなぜ今に至ったのかというところなのですが、それはどういう過程ですか。
山添 大きかったのは2008年だと思います。2008年はジョージアの問題がありました。ジョージアの中で紛争地域があったわけです。
アブハジアと南オセチアというところなのですけれど、南オセチアという紛争地域に対して、ジョージアが支配権を取り戻そうという紛争があって、ロシアがそれに関わって軍事力を行使しました。ジョージア領内に軍を進めたというのは、初めてロシアが国境外に軍を進め...