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革命運動で兄を失ったレーニンの情念と精神的強さ

独裁の世界史~ソ連編(1)ロシア革命とレーニン

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
レーニン
1917年のロシア革命から百年以上がたつ。史上初の社会主義国家ソビエト連邦は、第二次大戦後アメリカの率いる資本主義陣営と勢力を二分した。革命の指導者だったレーニン、その後に続くスターリンは独裁史上、いかなる役割を担ったのか。まずはレーニンについて考察を進める。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:25
収録日:2020/01/30
追加日:2021/02/12
カテゴリー:
≪全文≫

●イギリスから発達すると思われていた社会主義


―― 本村先生、前回のビスマルクについてお話しいただきました。「独裁の世界史」の続きとして、レーニン、スターリン、それからムッソリーニ、ヒトラーと、20世紀の独裁者たちに入っていきたいと思います。

 今回はまず、レーニンやスターリンが独裁政権をつくりあげていく過程についてお話をうかがいたいと思います。まず最初に、社会主義の理想を掲げていながら、なぜ独裁政権をつくるに至るのかというところですが、先生はどのように見ていらっしゃいますでしょうか。

本村 社会主義というのは、本来資本主義の最高段階ないし最終段階に達したところから生まれてくると言われ、イギリスやフランスといったところで誕生するものだと思われていました。

―― マルクス自身が当初はそのように想定していたということですね。

本村 ええ。資本主義社会のはらんでいる矛盾が階級闘争を引き起こし、下層階級といわれていた労働者階級が「プロレタリア独裁」を行うという考え方が、理論としてはありました。しかし、実際には違いました。

 イギリスやフランス、ドイツといった国では、権力側の人々がそれなりに社会主義的な政策をどんどん取り入れていきます。典型的にはビスマルクがいち早く行った社会福祉政策ですが、一つにはそういうことがありました。

 つまり、貧しい人や労働者階級を抑圧したり、彼らと対立したりするだけでなく、彼らに対して配慮ある行動を取ったのが、それなりにうまくいったわけです。特にイギリスなどはその典型で、一番初めに資本主義国を築いておきながら、社会主義的なものがあまり根づかない。今日に至ってもそういうところがあります。これはアメリカもそうで、英語圏の社会ではなんとなくそういうものが浸透しないようです。


●なぜロシアに社会主義革命が起こったのか


本村 それに比べて、ヨーロッパの中では後進地域であった東欧圏で、領土的にも大国として勢力を広げていたのがロシアです。ロシアでは19世紀半ばに農奴解放が行われたりしますが、その裏には資本主義が未熟な段階での対立というものがありました。貴族や恵まれた富裕層と下層階級や農民との対立がある程度見られたわけです。

 しかし、トルストイなどの例を見ると、地主階級にもそれなりに貧しい人々のことを一生懸命配慮する気持ちがあったし、ナロードニキ運動などで有名なように、文化人や知識人たちの一部が民衆の中に入っていこうという動きもありました。それらは、広い意味で社会主義的な考え方に基づいていたのではないかと思われます。

 ロシアは大国でありながらイギリスやフランスに比べれば遅れていたし、日露戦争に至る大きな動きの中で、労働者ではなく農民たちの救済という形でロシア革命の動きが起こってきた。それは西ヨーロッパに対する対抗としての動きでもあったのではないかという気がします。

―― ロシアの場合、第一次世界大戦中までずっと帝政が続きました。いわゆる皇帝による政府が続いていたので、独裁政だったかどうかというと、明らかに独裁政でした。議会的な伝統もなかなか根づかないでいるままに第一次世界大戦に突入していくということになるわけです。

 ここで、レーニンが『帝国主義論』等々の議論を展開いたします。帝国主義による戦争でお互いを戦わせて、戦争で社会が混乱したときに、一種の「敗戦革命」といいますか、敗戦の混乱に乗じて革命を起こすのだというようなことを言い出す。現実問題としては、ロシアはなかなか戦争の負担に耐えられず、崩れていくことになりました。

本村 国家の側からすれば、ということですね。


●革命運動で兄を失ったレーニンの情念


―― そうですね。それで結局、第一次・第二次のロシア革命を迎えていくことになります。

 第一次はやや穏健で、ボリシェヴィキではない勢力が中心だったのが、第二次の革命でボリシェヴィキが反対勢力を倒し、独裁権力を手にすることになります。このように展開されたレーニンの戦略について、どのようにお考えになりますか。

本村 レーニンという人は革命運動の中で兄を殺されています。よって、戦略というよりも、そういうある種の情念をもともと持っていた。つまり、理論的な考えというより、反政府運動によりツァーリの独裁政を倒すことが、彼の一つの大きな情念になっていたはずです。

 本来、資本主義国であれば、その資本家層を打ち倒し、プロレタリア独裁を行うことになるはずなのですが、ロシアではその理論が適用できませんでした。その中で、1905年の第1回目のロシア革命は、一方でちょうど日露戦争を行っていた時期に重なります。ツァーリズムによる国家がいかに強権的なところを見せていても、実際は日本に負けてしまったではないかということ...
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