●フラウィウス家3代目は几帳面なドミティアヌス
父親のウェスパシアヌス、息子で兄のティトゥスと、フラウィウス家の皇帝が相次いで登場し、亡くなっていった結果、弟のドミティアヌスが皇帝になります。
ドミティアヌスは几帳面な性格だったのか、即位した最初の段階ではローマのさまざまな規則をきちんと守らせることに意を用いました。行政を適切に行うことに意欲的で、2代皇帝のティベリウスを非常に尊敬していたともいわれます。
ティベリウスは、常に称賛を浴びる創始者である初代皇帝アウグストゥスの陰に隠れがちな2代目でした。同じことはフラウィウス家にもいえます。ネロが亡くなった後の内乱を経て、新しいローマ帝国の創業者になったのがウェスパシアヌスという父親だという見方もできるからです。
アウグストゥスやウェスパシアヌスのような節目に当たる人はいいのですが、2代目や3代目が適切な評価を受けるのは難しい側面があります。創業者がつくったものをちゃんと運営していって当たり前、少しでも手抜かりがあると批判され、酷評されることになりがちです。実際にティベリウスは、かなり批判されるところがあります。
●ドミティアヌスの尊敬したティベリウス帝
ティベリウス帝については、「ローマ帝国皇帝物語」シリーズでもお話ししました。軍人として非常に優れ、官僚制システムをきちんとつくり上げて行政能力も発揮したティベリウスは、20年近い治世の後半ではローマを離れ、カプリ島に隠棲しました。
今日も遺跡が残るカプリ島の丘のてっぺんにある「ヴィラ・ヨヴィス」にいて、彼は日々報告を受けながら、政治を行ったのです。別の見方をすれば、皇帝不在でも政治はきちんと行われるように、ローマの官僚制がうまく機能し始めていました。中にはセイヤヌスのように宮廷の実験を握り、元老院を牛耳る人間も出てきますが、その点でティベリウスは、軍人としてだけでなく、行政者としてももっと評価されてしかるべき人物だろうと思います。
ただ、彼は人格的に「暗い」印象が持たれてきました。また、皇帝即位が50代後半と、当時としてはかなり高齢に属していました。結果的に、明るくないところが嫌われ、彼が亡くなった時にはローマの民衆が快哉を叫んだといわれているほどです。
ドミティアヌスは、ティベリウスの有能な面を評価していたようです。人格的にも似たところがあったのではないでしょうか。彼も非常に几帳面に物事を進めていく人でした。
●有能な為政者が抱いた暗殺の恐怖
例えば、「ウェスタの巫女」というローマに古くから伝わる宗教的な制度がありました。ウェスタの巫女に選ばれるには処女でなければならず、在任中はずっと処女でいなければならないという厳格な規定があります。ところが実際には、男性と関係を持つ例が出てきて、それに対する取り締まりがルーズになっていました。ドミティアヌスはその慣行を改め、厳格に処刑を行ったのです。
それから、同性愛関係に対する取り締まりも行いました。ギリシアではソクラテスとアルキビアデスをはじめ、いろいろな関係が取り沙汰されるほど派手に行われていたようで、当時のローマはそこまで容認しないものの、黙認に近かったのです。ドミティアヌスはそれを嫌って、徹底的に取り締まるようなところがありました。
また、官吏や属州の管理行政に対しても、整った報告を求め、実際にチェックしたりしています。帝国の安寧へのことさらな砕心、諸制度の厳格な実施という面で、彼は非常に有能な為政者であったといえるのです。
ただ、極めて厳格に事を進めると、それによってはじかれた人間が反感を持つようになるのはありがちなことです。そのせいもあり、彼はだんだん自分が生命を狙われているのではないかという疑いを持つようになりました。
皇帝という最高権力者の場合、暗殺の危険は常にどこかにあるわけですが、彼は性質的に神経質なところがあったのだと思います。些細なことが気になると、元老院貴族や有力者たちが自分に敵対して皇帝という仮面を剥ぎに来るような恐怖に駆られ、彼らを処刑するといったことが、だんだん目立ってくるようになります。
●処刑、財産没収、インフラ整備のチェーン
当時のローマでは、処刑は財産の没収につながりました。ドミティアヌスのように政治的な物事を厳格に行っていくのはお金のかかることでもあったので、没収した財産からその埋め合わせをしています。
また彼は、首都の修復計画を持っていました。「ネロの大火」は有名ですが、兄のティトゥス帝の時代にも、ローマに相当規模の大火が起こっています。再建ができないまま兄が亡くなったため、結局はドミティアヌスが着手することになったのですが、その計画実行にも莫大な費用を要します。
さらに...