●ローマ正統の血筋が途絶え、皇帝推挙の基準も変化
ネロが亡くなって、カエサル、アウグストゥス、それからティベリウスという、最初のローマの最高の為政者であった人たちの血を引く人間が、そこで途絶えてしまうということになりました。
それまででしたら、やはり元老院貴族のような身分の高い人、それもできるだけローマの由緒正しい家系の人間が皇帝になるべきだというものがローマの人たちの中にはあったのです。しかし、結局ネロの死によって、その家系が途絶えてしまいましたし、この頃にはローマの由緒正しい貴族の家系そのものがかなり途絶えているようなところもあったのです。
そのため、ローマのみならず、イタリア半島全体にわたり、地方出身の貴族でも皇帝として推挙されるという状態で、貴賤入り乱れていたのです。
●内乱の時代をフラウィウス家のウェスパシアヌスが平定
まず、ネロが亡くなってからイベリア半島でかなり老人だったガルバという男が出てきて、皇帝に推挙されました。しかしすぐに、その部下でガルバより少し若くネロとはかなり友人関係にあったオトーという人物が反旗を翻すことになります。
ローマ帝国の南の方でそうした動きがある中、北方にはゲルマニアの軍団に押されたウィテリウスという人物がいました。ウィテリウスにはものすごい大食漢だったというエピソードがあるのですが、この人が出てきて、およそ1年にわたって騒々しく内乱が起こります。
ガルバにしろ、オトーにしろ、それからウィテリウスにしろ、彼らをみると皇帝は特にローマで担ぎ出される必要がなくなってきたということで、それが新しい時代の非常に大きな特徴なのではないかと思います。そうした3人が皇帝として次々と出てくる、いわば内乱の時期でした。この時期について、歴史家のタキトゥスは『同時代史』の中でその3人と最後に出てくるウェスパシアヌスという人物のことや内乱の様子、さまざまな駆け引きのことを詳細に論じています。この3人ないし4人が相争う中、結局、フラウィウス家のウェスパシアヌスが、いわばドナウ軍団に擁立されて天下を平定するという形になったのです。
●田舎貴族出身のウェスパシアヌス皇帝が意味するもの
ローマからほど近い所にサビニ地方という田舎町があるのですが、ウェスパシアヌスはそこの名家の出身でした。およそ彼は、自分がローマ皇帝になるなどということは、おそらく若い頃は考えたこともない、夢に思っていなかったことでしょう。ネロが亡くなって、いわゆる69年の内乱になっていろいろな人物が出てくる中で、もはや、何か特別に抜きん出るような尊い家系でなくてもいいということが、ローマの人たちにもだんだんと分かってきたのです。それよりも、むしろ軍事力をきちんと把握して軍略にたけているとか、軍事経験がある方がむしろ重視されるようになった、ということが一ついえるでしょう。
それから、尊い家系があまり重視されなかったということの裏返しかもしれないのですが、ウェスパシアヌスは非常に実直な感じのする人で、自分が田舎貴族にすぎないということを、いわば吹聴するような、あるいは半ば自慢するようなところがあったのです。このことからも、ローマの最高権力者の在り方、品位というものが、随分変わってきていることが分かると思います。
●時世にマッチしていたウェスパシアヌスの出現
ただしタキトゥスは、ウェスパシアヌスが現れた時代について非常に好意的に書いています。それは、ネロがいわば最高権力者として出てきて14~15年の間、世の中はぜいたくと豊潤にあふれていました。特にネロは、そういうところがあって、暴君の代名詞のようにいわれるわけですが、それに対してウェスパシアヌスについてタキトゥスはこう言っているのです。
「しかし、厳格な風紀をつくり上げた最大の功労者はウェスパシアヌスであり、本人からして、その生活スタイル、態度や服装が古風であった。そのため、この元首(皇帝)に対して恭順の念が生まれ、そして、法にもとづく罰則やその恐怖心よりも効果的な『見習う』という熱烈な欲望が起こったのである」
もっとも別の見方をすれば、ちょうど四季が巡ってくるように、非常に風紀が緩んでいると逆に厳しくなろうとする、そうした大きな時代のリズムもあるのではないか。そのようなことをタキトゥスは言っているのです。ここのところは、歴史哲学的な、非常に洞察力を感じさせるところです。そして、それに合わせたかのようにウェスパシアヌスが登場してきたのです。
ウェスパシアヌスは、先述したように自分が田舎貴族であること自体を吹聴するようなところもあって、彼自身実際に属州生活も長く、軍事経験も豊富でした。いってしまえば泥臭い軍人貴族だったわけですが、ある意味で時世に恵まれ...