●自らの業績、心情を碑文として綴ったオクタウィアヌス
オクタウィアヌスは亡くなる時に、“Res gestae divi Augusti”、邦題で『神皇アウグストゥス業績録』という長大な遺書を残しています。自分がどんなにローマ市民のために尽くしてきたか、そして、ローマ市民を防衛するためにいかに戦ってきたか、ということをとうとうと書いて、それをローマ帝国の各地に設置させました。その断片が各地に散らばって残っているのですが、最初はラテン語で書かれており、それをギリシャ語に訳したものもあるのです。
というのは、ローマ帝国は地中海全体を収めた時に、そこに住む人たちの主な公用語としては、地中海の西側がラテン語、東側になるとギリシャ語が使われていました。また、これは公用語といっていいかどうかはとにかく、セム系の言語も必要でした。それがアラム語です。東の方では、現在でもそうですが、シリアとかエジプトといった地域ではアラビア語が使われており、そこの人たちには、その元の言語としてのセム系の言語、当時はアラム語といわれていたわけですが、それを使っていたのです。いずれにしても、ラテン語、ギリシャ語が主な公用語で、ラテン語の碑文をギリシャ語に訳したものが、例えばトルコのアンカラの近くでも出てきたりしています。
そういうものがたくさん、いろいろな所に残っていて、それを比較、照合して、現在、“Res gestae divi Augusti”は、ほぼ復元できているのです。碑文としては全36章で、行数としては500~600行くらいあると思いますが、非常に長大なものが刻まれていました。
ローマに有名なアラ・パキス(平和の祭壇)と呼ばれるものが、テベレ川の近く、いわゆるスペイン広場の近くですが、そこにあります。さかのぼれば、ローマでは内乱が100年近く続いていました。その間、グラックス兄弟の改革に続き、マリウスやスッラ、ポンペイウス、カエサル、そしてアントニウス、オクタウィアヌスが登場してくるのですが、その内乱を、最終的に収拾したのは自分、つまりアウグストゥスであるということで、1人の為政者が、自分の言葉で自分の業績や気持ちを記録として残しているという意味では、世界史の中でもまれなものです。その長大なレプリカが今、献呈した祭壇のちょうど下の土台の所にあるので、ローマに行くと見ることができます。