●ローマ共和制の伝統-単独の支配者を許さない
カエサルは、いわばローマ世界の中で唯一の権力者にのしあがっていきます。これまでも繰り返しお話ししましたが、ローマは共和制の伝統を500年間守ってきました。
共和制とは何かというと、第一の原則は「独裁者を許さない」ということです。王や君主といった単独の支配者を許さない。そういうことをローマ人は500年にわたって心掛けてきました。ローマは、そうした支配者の嫌な面をそれまでの王制期の250年の歴史の中で経験していましたから、繰り返し英雄が現れてくると、その英雄が最終的には何となく影が薄くなっていったり、場合によっては敵対勢力からやっつけられて裁判沙汰を起こされたり、といったこともあったのです。
●英雄スキピオと反対勢力
その典型が先ほどお話しした、ハンニバルを打ち破った大スキピオです。紀元前の202年のことですが、スキピオは、徹底的にローマ人が痛めつけられたハンニバルを最終的にザマの戦いで打ち破ります。それまでハンニバルに非常な苦汁をなめさせられたということもあり、若きスキピオが登場してハンニバルを打ち破ったということは、ローマにとっては大変な功績であり、そのために彼は英雄に祭り上げられていくのです。
すると、今度はそれに敵対する勢力としてカトー一族が登場します。その最初の代表的な人物に大カトーと呼ばれる人がいます。この人はスキピオとほとんど同年代ですが、スキピオ、グラックス家が非常に進取の気性に富んでいたのとは対照的に、カトー一族は非常に国粋主義的な保守派の中核のような人たちでした。
このカトー一族、あるいは彼を支持する人たちは、スキピオを非常に嫌っておりました。その上、スキピオはローマ国家を救済した英雄になるので、繰り返し「こいつがまた単独の独裁者になる。王になる」と言って、その危険を皆に吹聴したのです。
スキピオも自分が表に立って行動すると、いつもそういう目にさらされました。スキピオの兄弟が軍隊を率いていると、いわばそのサブリーダー、あるいは顧問格でも(一族の者がその中に)入っているので、そういう軍隊を率いたスキピオの一族を、反対勢力が「不法な形でいろんな財産を得ようとした」、いわば私腹を肥やしたということで告訴するのです。
●独裁者に対するローマ人の強固な警戒心
スキピオは、最終的には犯...