●最明寺入道・北条時頼の「廻国伝説」
鎌倉と江戸をつなぐ例の三番目は、江戸時代につくられた事実とフィクションとの境界にまたがるある種の伝説についてです。これがやはり鎌倉時代にもあった。むしろ江戸時代のそれは、鎌倉時代のものに通じたのではないかというお話をします。
例えば、最明寺入道・北条時頼のエピソードです。時宗の父、時頼は執権を辞め、入道、すなわち出家をします。その後、全国を回ったということで「廻国伝説」が残っています。その中に、謡曲『鉢木』の主人公となった佐野源左衛門尉常世との出会いなどがあります。
●『鉢木』のモチーフは法治主義と善政
源左衛門は零落した御家人でした。ある日、旅の僧が泊まりに来るのですが、もてなす術もないほど非常に貧しい暮らしをしていました。それは自分の土地、すなわち「本貫地」が残念ながら人の手に渡ってしまったからであること、法的にはこちらが正しいことなどを、彼はその僧が最明寺時頼であるとは知らずに打ち明けて語り、時頼はそれを聞きます。その時に、「もてなすご馳走もできませんが」と言って、自分の大事にしていた鉢植えの木を割り、それをくべて暖をとらせ、旅人をもてなしました。それが『鉢木』のモチーフとなった伝説・伝承だったのです。
この最明寺時頼と佐野源左衛門のエピソードは、後に時頼が鎌倉に戻り、まさに「いざ鎌倉」の言葉通りの非常事態を迎え、時頼が発した命令に応じて、関東の各地から武士が駆けつけますが、その中でも真っ先に駆けつけてきたのが、この下野の住人、佐野源左衛門だったのです。その後、源左衛門の本貫地についての調べがなされ、土地はめでたく彼の元へ戻ります。これはすなわち幕府の法治主義と善政のあり方を強調するお話です。強調された法治主義と善政が、後世に伝承として伝えられます。
●時頼の廻国は「正義の味方」水戸黄門へ
この話が何を思い出させるかと言うと、まさに水戸光圀、すなわち水戸藩のご老公が水戸黄門として諸国を漫遊した話です。格さん助さんをお供に従えて漫遊した光圀は、行く先々で悪を懲らしめ、正義を勧めていく。これは、当時の人々の持っていた願望だったのでしょうね。世にはびこる不正を在地で訴えても、なかなか解決できない。そんなとき、上から正義の味方が現れ、正義を行使することを期待する。そんな面があったのだと思います...