●謎多き紫式部の半生
キャンベル こんにちは。今日は大勢の方が来てくださいましたね。
林 ありがとうございます。
キャンベル 日曜日のよいお天気なのに、だからこそ、というべきでしょうか。みんな『源氏物語』の大河ドラマを見て、いろいろとお思いといいますか、紫式部はこういう人生で、こういう人だったのかというようなことで、興味がまたもう一度芽生えているような気がいたします。
林 今(2024年)、ちょうどNHKの大河ドラマで『光る君へ』というものが放送になっておりまして、おかげで私のところへもこういう話がしょっちゅうくるのですけれど、あれはべつに『源氏物語』の話ではなくて、それを書いた紫式部の話なのです。紫式部という人も実はあまりよく分かっていない人で、生没年もはっきりしないし、いつ『源氏物語』を書いたかということにもいろいろな説があって、学者の先生たちがいろいろなことをいっているのだけれど、これという決定案がないのです。
そのぐらい曖昧模糊としているのですが、『源氏物語』という物語は厳然として存在しているわけで、今日おいでの方々は、皆さんきっとお読みになったのでしょうね。
キャンベル 林さんの『謹訳 源氏物語』は、私は最初から最後まで読破しているのですけれど、それをまずお薦めしたいです。
林 はい。
キャンベル 和歌がもちろんたくさんあるわけで、室町時代から江戸時代の人たちも、和歌を引き歌して、いちばん有名な歌をたどりながら、54帖を全部読むというのは、注釈を作る人は別にして、ほとんどしていないのです。『謹訳 源氏物語』という数年前に完成させたものは、歌そのものを味わえるように考えて、特に歌に対する思いというものが林さんにあったのではないかと思います。
●難解だった紫式部の和歌
林 私が大学院の学生で勉強しておりましたときに、佐藤信彦先生という、平安時代のご専門の先生がおられて、一般にはほとんどご存じないと思いますけれど、この先生は一生、本を書かなかった人なのです。でも、私どもは神様のように尊敬しておりました。
この先生がずっと源氏物語を講じていて、私も『謹訳 源氏物語』を書くときに、その頃に佐藤信彦先生が講じた講義を、自分が持っていた『古典大系』の中に細大漏らさず筆記していたのです。その頃は、その偉さはあまり分かりませんでしたけれど、改めて...