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フェノロサと岡倉天心の「初の夢殿開帳」は実はねつ造?

法隆寺は聖徳太子と共にあり(7)日本古代史の謎に迫る

大野玄妙
法隆寺第129世住職、聖徳宗第6代管長
情報・テキスト
アーネスト・フェノロサ
なぜ聖徳太子は皇太子のままであり、天皇になれなかったのか。誰もが抱くであろうこの問題に、法隆寺管長・大野玄妙氏がいくつかの可能性を示す。一つ目は、日本のみならず中国や朝鮮でも見られた、「女性」政権の潮流だ。二つ目は、実は聖徳太子は天皇になっていたのではないかというものだ。大野氏が、日本古代史の謎に迫った。(全8話中第7話)
時間:08:42
収録日:2016/03/09
追加日:2016/11/12
≪全文≫

●フェノロサの夢殿開帳は「捏造」だった?


―― フェノロサと岡倉天心が法隆寺の夢殿を開帳したと言われているが、そのことについて当時の管長は何か話していたか。また聖徳太子はなぜ天皇になれず皇太子のままだったのか。

大野 私は3歳からこのお寺にいますが、その段階では既に(法隆寺に)おられませんでした。その当時のトップは直に亡くなられましたが、その方はその時はおられません。慶応3年生まれの人ですが、長く京都の泉涌寺で勉強されておりましたので、帰ってこられたのはけっこう大人になってからです。そういう状況でした。

 それから、いまお話しされたフェノロサについて、私もフェノロサ学会の会長さんも心やすくてよく知っていますが、実は(夢殿を開いたという)あの記事は、感激のあまりフェノロサが捏造したものです。本当は、それより前に開かれているのです。

 その文書が、東京国立博物館の資料室にあります。フェノロサが開ける以前に、国が宝物調査を行ったのです。その時に開かれています。(世間的には)フェノロサが開いたということになっているから、それでも構わないのですが、厳密に言えばそうではないことになるということです。ただ開けたといっても、一部の関係者だけが開いて、そしてまたガッと収めてしまったのでしょう。ですから、かなり修飾が加えられていると考えた方がいいかなと思います。


●聖徳太子が天皇にならなかった理由


 もう一つ、聖徳太子さんがなぜ皇太子でありながら天皇にならなかったのか。これにはいろいろな説があります。その前の崇峻天皇が、暗殺されているのですね。だからあえてならなかったという可能性が一つあります。もう一つはそうではなく、あの当時、女性が治めていくことが、世の中の流れをソフトにしていって変えていけると考えられたことが、重要なポイントだったのではないかと思います。

 われわれ日本人の間でも、女性差別の問題がよくあるでしょう。そういう場所で私はよく話をするのですね。日本の国は、一体いつから男性が上位で、女性が・・・と考えられるようになったのか。これはやはり、よく考えておく必要がある問題だと思います。

 明らかに古代の日本は、女性上位です。それでずっと来たのです。恐らく平安時代までは、女性上位です。というのも、通い婚でしょう。本当の旦那さんが誰かを知っているのは、女性だけなのですよ。そういう社会でしたね。(女性の)親元の流れというものが、非常に重視されていた。そういうことがあったと思います。

 私どもの橘夫人厨子は、橘三千代さんのものですね。そして橘古那可智という方は、夢殿の北側の伝法堂という建物を寄付されています。ですから(女性も)非常に力があったと考えられる。そういう考え方もあります。

 さらに言えば、大陸あるいは朝鮮半島で、女性が政権を持つことが少し流行りつつあった時代でもあります。朝鮮半島を例にしましょう。皆さん、韓流ドラマはご覧になりましたか。この少し後、大体皇極天皇ぐらいの頃からですが、徳曼という人が出てきます。あれは新羅の善徳女王ですね。その後に勝曼という人が出てきます。このように朝鮮半島では、2代にわたって女性の王様が続きました。その後、春秋という人が王様になるのですね。

 では中国ではどうか。これも則天武后、いわゆる武韋の乱を起こしたと言われていますが、そういうことが起こってきます。ということで、(女性が王になったのには)多少流行も関係していたのではないかという意見もあります。


●実は聖徳太子は天皇になっていた?


 また、これはあまり採用されない意見ですが、別の説明もあります。今日はそういう形で使用したのではありませんので使っていませんが、皆さんが持っている資料のAの中に、葛城値磐村女(かつらぎのあたいのいわむらのむすめ)廣子、その娘さんの酢香手姫皇女(すかてひめのみこ)、この人は聖徳太子のお姉さんであろうと思われる人ですが、なぜ聖徳太子さんが崩御されると、この人が帰ってきたのか。この点を考えると、ひょっとすると、そこまでは聖徳太子さんが天皇だった可能性もある。ということは、日本書紀の記述自体が改ざんされている可能性がある。こういう見方をされる人もいます。

 歴史上ではそういう謎もあります。さらにもう一つ言いますと、古事記で勘定していくと、何度勘定しても一人足らない。そんなことがあるのですよね。そこをミステリーにして推理小説などを書いている方もいます。

 平たく言えば、酢香手姫皇女は、いわゆる斎宮です。斎宮という制度がいつ頃から行われて、そしてどうなったかはよく分かっていない部分もありますが。基本的に男性の天皇のときには斎宮を立てますが、女性の天皇のときには立てません。なぜかと言うと、伊勢の神様は天照大神...
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