●フェノロサの夢殿開帳は「捏造」だった?
―― フェノロサと岡倉天心が法隆寺の夢殿を開帳したと言われているが、そのことについて当時の管長は何か話していたか。また聖徳太子はなぜ天皇になれず皇太子のままだったのか。
大野 私は3歳からこのお寺にいますが、その段階では既に(法隆寺に)おられませんでした。その当時のトップは直に亡くなられましたが、その方はその時はおられません。慶応3年生まれの人ですが、長く京都の泉涌寺で勉強されておりましたので、帰ってこられたのはけっこう大人になってからです。そういう状況でした。
それから、いまお話しされたフェノロサについて、私もフェノロサ学会の会長さんも心やすくてよく知っていますが、実は(夢殿を開いたという)あの記事は、感激のあまりフェノロサが捏造したものです。本当は、それより前に開かれているのです。
その文書が、東京国立博物館の資料室にあります。フェノロサが開ける以前に、国が宝物調査を行ったのです。その時に開かれています。(世間的には)フェノロサが開いたということになっているから、それでも構わないのですが、厳密に言えばそうではないことになるということです。ただ開けたといっても、一部の関係者だけが開いて、そしてまたガッと収めてしまったのでしょう。ですから、かなり修飾が加えられていると考えた方がいいかなと思います。
●聖徳太子が天皇にならなかった理由
もう一つ、聖徳太子さんがなぜ皇太子でありながら天皇にならなかったのか。これにはいろいろな説があります。その前の崇峻天皇が、暗殺されているのですね。だからあえてならなかったという可能性が一つあります。もう一つはそうではなく、あの当時、女性が治めていくことが、世の中の流れをソフトにしていって変えていけると考えられたことが、重要なポイントだったのではないかと思います。
われわれ日本人の間でも、女性差別の問題がよくあるでしょう。そういう場所で私はよく話をするのですね。日本の国は、一体いつから男性が上位で、女性が・・・と考えられるようになったのか。これはやはり、よく考えておく必要がある問題だと思います。
明らかに古代の日本は、女性上位です。それでずっと来たのです。恐らく平安時代までは、女性上位です。というのも、通い婚でしょう。本当の旦那さんが誰かを知っているのは、女性だけなの...