●忘れてはいけない「皇太子・聖徳太子」
前置きはこの辺にしましょう。さて、聖徳太子さんは仏教を取り入れられたということですが、皆さんの印象はどうでしょうか。聖徳太子さんという名前を聞いたときに、どういう人物なのか、いくつか項目を挙げていくと、ある人は政治家である、ある人は日本の文化の礎の人である、またある人は最初に仏教を研究した人であるなど、いろいろな言い方がされます。また、大工さんのような職人の間では、そういう職業や技術を伝えた神様として祀られています。このように聖徳太子には、非常にいろいろな角度から信仰され、また慕われているという面があります。
ところが、その中でも一番多いのは、やはり仏教との関わりだろうと思います。しかしここで実は、一つ大きなことを見逃しています。何かといいますと、聖徳太子さんが皇太子だったということです。そのことは、絶対に忘れてはいけないことなのです。皇太子さんを含め、いわゆる皇室の方々の仕事とは何かということです。これが非常に重要なことです。
●伝来当初、仏と神は「同列の存在」だった
この点は、皆さんに配った資料の1番に載っています。これは、百済の聖明王が日本に仏教を伝え、そして「仏教を受け入れなさい」ということを手紙に書いて送ってきた時のことです。この欽明天皇は、側近の人たちに「どうしようか」と相談をしました。この時、この問題に対して賛成をしたのが蘇我氏です。そして反対をしたのは、物部氏と中臣氏です。資料にあるのは、物部尾輿と中臣鎌子という二人の人物が話をした際の内容です。読んでみましょう。
「我が国家の、天下に王とましますは、恒に天地社稷の百八十神を以って、春夏秋冬、祭拝りたまうことを事とす。方に今改めて蕃神(あたしかみ)を拝みたまわば、恐るらくは国神の怒を致したまわむ」
ここではっきりと書かれています。我が国の王とまします、天下に王とまします者は何をするか。それは、天地、あるいは社稷、つまり天神さん、天の神様、国の神様といった百八十神(180にも及ぶ多くの神々)を、春夏秋冬、年がら年中、一年を通じてお祀りすること。これが仕事です。
そしていま改めて、ここで蕃神(これはお隣の神様です)を拝みたまわば、お隣の神様を拝んでしまったら、この国の神様がお怒りになるだろう。物部氏と中臣氏は、こういう理由で反対...