「逆境とは何に逆らうことなのか」「人はそもそも逆境でしか思考しないのではないか」――哲学者鼎談のテーマは「逆境に対峙する哲学」だったが、冒頭からまさに根源的な問いが続いていく。ヨーロッパ近世、ヨーロッパ現代、日本と東洋の哲学に軸足を置く3人のライブ感みなぎる話の先はどこへ続くのだろう。「哲学カフェ」を模した人気シリーズ講義、第3弾、いざスタート。(全10話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
逆境に対峙する哲学
逆境に対峙する哲学カフェ…西洋哲学×東洋哲学で問う矛盾
逆境に対峙する哲学(1)日常性が「破れ」て思考が始まる
2.「私をお母さんと呼ばないで」…突然訪れた逆境の意味
2025年12月20日配信予定
3.武士道に学ぶ自己訓育――幻想としての順境に抗するために
2025年12月26日配信予定
4.天譴説という儒教の知恵――統治のあり方を点検するために
2025年12月27日配信予定
4.天譴説という儒教の知恵――統治のあり方を点検するために
2025年12月27日配信予定
5.大慈大悲の教え――なぜ仏像は怖い顔をしているのか
2026年1月2日配信予定
6.ネガティブ・ケイパビリティとは?信じて待つことの意味
2026年1月3日配信予定
7.タイトル未定
2026年1月9日配信予定
8.タイトル未定
2026年1月10日配信予定
9.タイトル未定
2026年1月16日配信予定
10.タイトル未定
2026年1月17日配信予定
時間:17分17秒
収録日:2025年7月24日
追加日:2025年12月19日
収録日:2025年7月24日
追加日:2025年12月19日
≪全文≫
●「3人の哲学者のおしゃべり」に始まる…
―― 皆さま、こんにちは。本日は津崎良典先生、五十嵐沙千子先生、板東洋介先生に、「逆境に対峙する哲学」というテーマでお話をいただきたいと思っています。いつもの津崎先生と五十嵐先生の大好評シリーズ「哲学カフェ」のスタイルで、今回もやってまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
3人の先生方は、こちらのご本(『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』春秋社)でご一緒されたということですが。
津崎 この本のあとがきがちょうどこの顔ぶれの鼎談になっていて。
五十嵐 そうですね。
津崎 いずれもかつての同僚だったんだけれど、3人で話す最初の成果がこの本のあとがきの部分です。
―― 『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』ということですね。
五十嵐 お二人とも書いていらっしゃる。私も書いていますけど。
津崎 彼女がその編者になって、今回が鼎談としては2回目なんですよね。
―― そういうことですよね。
●私たちが「マイク」「さっちゃん」「洋ちゃん」と呼び合う理由
―― 今回のご鼎談では前回の「哲学カフェ」のように、それぞれ呼び名で呼ぼうということで、それぞれちょっと。
津崎 私は「マイク」で登場しますし、そう呼んでいただきます。
五十嵐 私は沙千子なので、さっちゃんです。
板東 私は洋介なので、洋ちゃんです。お願いします。
津崎 どうして哲学対話では、こんなふうに名字ではなくて呼び名を使うかというと…。
五十嵐 名前が関係性を決めるからです。
津崎 …ということなんです。
―― ああ、なるほど。これはやっぱりあえてそうしないといけないわけですね。
津崎 そうです。
五十嵐 いけないっていうか。
―― いけないというわけじゃないですよね。
五十嵐 そういうふうにして、関係性を形から変えていくっていう。
津崎 東京大学の板東先生ってなると、やっぱりみんなかしこまっちゃうというか。
―― いや、そもそも先生方というだけでかしこまっちゃいます。
五十嵐 お互いにね。
津崎 お互いに。だから、肩書き、所属、性別(ジェンダー)といったものをできるだけそぎ落としたい。だけど、やっぱり呼びかけないといけないから、そういう意味の記号として呼び名を戦略的に使っているんですよね。違和感を...
●「3人の哲学者のおしゃべり」に始まる…
―― 皆さま、こんにちは。本日は津崎良典先生、五十嵐沙千子先生、板東洋介先生に、「逆境に対峙する哲学」というテーマでお話をいただきたいと思っています。いつもの津崎先生と五十嵐先生の大好評シリーズ「哲学カフェ」のスタイルで、今回もやってまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
3人の先生方は、こちらのご本(『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』春秋社)でご一緒されたということですが。
津崎 この本のあとがきがちょうどこの顔ぶれの鼎談になっていて。
五十嵐 そうですね。
津崎 いずれもかつての同僚だったんだけれど、3人で話す最初の成果がこの本のあとがきの部分です。
―― 『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』ということですね。
五十嵐 お二人とも書いていらっしゃる。私も書いていますけど。
津崎 彼女がその編者になって、今回が鼎談としては2回目なんですよね。
―― そういうことですよね。
●私たちが「マイク」「さっちゃん」「洋ちゃん」と呼び合う理由
―― 今回のご鼎談では前回の「哲学カフェ」のように、それぞれ呼び名で呼ぼうということで、それぞれちょっと。
津崎 私は「マイク」で登場しますし、そう呼んでいただきます。
五十嵐 私は沙千子なので、さっちゃんです。
板東 私は洋介なので、洋ちゃんです。お願いします。
津崎 どうして哲学対話では、こんなふうに名字ではなくて呼び名を使うかというと…。
五十嵐 名前が関係性を決めるからです。
津崎 …ということなんです。
―― ああ、なるほど。これはやっぱりあえてそうしないといけないわけですね。
津崎 そうです。
五十嵐 いけないっていうか。
―― いけないというわけじゃないですよね。
五十嵐 そういうふうにして、関係性を形から変えていくっていう。
津崎 東京大学の板東先生ってなると、やっぱりみんなかしこまっちゃうというか。
―― いや、そもそも先生方というだけでかしこまっちゃいます。
五十嵐 お互いにね。
津崎 お互いに。だから、肩書き、所属、性別(ジェンダー)といったものをできるだけそぎ落としたい。だけど、やっぱり呼びかけないといけないから、そういう意味の記号として呼び名を戦略的に使っているんですよね。違和感を...
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