台本もない。主語もない。専門分野も違う。3人の哲学者による2時間におよぶ「哲学カフェ」風鼎談講義は筋書きのない世界をさまよいながら、いよいよ最終回を迎えることに。カルヴィーノ、ナイチンゲール、本居宣長、プラトンの話につなげながら、どこへたどりつくのか。キーワードは「遺産を交換する」である。そして、シリーズ10話を通して繰り返し視聴することで、新発見と再発見が何度も訪れる深遠な哲学の世界を堪能いただきたい。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「古典はBGMのよう」と言ったイタロ・カルヴィーノ
津崎 (イタロ・)カルヴィーノというイタリアの作家が僕は大好きなんだけど、彼が古典について面白い定義をいろいろしている。何かというと、「BGMみたいだ」というふうに言うのよ。BGMというのは、何かに集中しているときには心地良く聞こえてくる。だけど、ふとしたときに「あれって何なんだろう」というふうに聞こえてくる。カフェで流れているようなBGMだから、普段はあまり聞こえないけれども、ちょっとした瞬間に「あ、これ、いい曲だな」というふうに感じる。
古典も同じようなもので、普段日常生活を営んでいるときに古典というのは、あまり気づかれない、思い出されない。だけど、何かあったときにBGMのように「あれ? この言葉って、もしかして自分にとって、ちょっと大事かも」みたいに響いてくるのが古典だというふうなことを言っている。さっちゃんにとっても、その和尚の話を、朝起きて寝るまでずっと思い出してるわけじゃないでしょ?
五十嵐 全然思い出さない。
津崎 でも、ふとしたときに思い出すわけじゃない? それはBGMと一緒で、BGMの曲って、ずっと朝から晩までしっかり聴いているわけじゃないでしょ? ふとした瞬間に、「ああ、いい曲だな」とか「あっ、悲しい曲だな」とかっていう。
五十嵐 同じような状況って、起きるのね。同じといっても「すけべな破戒僧になる」という状況じゃないけど、たぶん何か思わぬことが私に起きたり、そういうことが起きた人と話をすることがあったりしたときに、その破戒僧…じゃなくて白隠和尚が浮かぶ。「ああ、白隠和尚もこうだったんだな」と思うし。
●ナイチンゲールに聞いてみたり、闘病記を読んでみたり
五十嵐 あとナイチンゲールっているじゃない? ナイチンゲールは名家のお嬢さんだったんだけど、海外で戦争をしてる兵隊さんたちのところへ行ったときに、お薬が足りなくなっちゃった。それで、「お薬を出してください」と隊長に言ったら、「今このお薬を使ってしまうと、次に怪我する兵隊が困るから使えない」と言われたんですって。そうしたら、ナイチンゲールが怒って、どうしたと思う?
お薬は限られていて、いちいちイギリスから取り寄せるのは大変でしょ。...