●ムハンマドは神の啓示を受けた歴史的人物
皆さん、こんにちは。
最近、イスラムが、国際情勢や国際政治をにぎわすことが多くなってきています。それに関連して、「ムハンマド」という人物の名を聞くことも多いのですが、もともとムハンマドは、唯一神アッラーから啓示を受けた預言者、すなわち神の使徒であります。
ムハンマドは、宗教の開祖者とされるキリスト教におけるイエスや仏教の釈迦とは異なり、あくまでも神の言葉を預かった歴史的な人物ということになっており、イスラムの開祖者、あるいはイスラムの創始者という位置付けではありません。
実在した歴史的な人物としてムハンマドは、イエス、あるいはモーセや釈迦などと並べ称せられる人物であります。確かにこうした四人はいずれも傑出したリーダー、特に宗教リーダーでありましたが、ムハンマドの場合、ユニークなのは、特に信仰、政治、社会が一体となった共同体・ウンマの最高指導者であったということです。
●イスラムの大集団を束ねる役割を果たす
ムハンマドは、日本ではしばしば「コーラン」と呼ばれる啓典である「クルアーン」の啓示のうち、60パーセントほどをアラビア半島のメッカで受けています。しかしながら、イスラムと呼ばれることになるその宗教、信仰が、現在のような私たちの知っている世界宗教に成長したのは、メッカではなく、むしろ西暦でいえば622年にヒジュラによって、メディナに移った以降のことです。ヒジュラとは、「聖なる移動」という意味として「聖遷」と訳されることがありますが、すなわち、イスラムは、神の啓示をメッカで受けましたが、その発展はもっぱらメディナにおいて行われたと言うこともできるでしょう。
ムハンマドは、メッカの伝統的な名門部族のリーダーたちがよって立っていたクライシュ族との争いに敗れて、メッカを追われ、メディナに移りました。長い預言者の系譜には、モーセやイエスはもとより、エレミヤ、イザヤ、エゼキエルといった預言者も含め、多くの使徒たちがいますが、このヒジュラによって、ムハンマドは、その中で最後に現れた最大の預言者であるという位置付けなのです。
したがって、彼は単に信仰者の精神を支えるだけではありませんでした。膨張し、多数を占めるようになった信徒の共同体全体を経営し、先ほど申したメッカのクライシュ族という名門の既得権益を守ろうとする部族集団のように、ムハンマドやイスラムの信仰を否定し脅かすような外の敵から共同体の内部を維持するため、あるいは、やはり組織、集団ですから、そこで起こり得る窃盗、姦通、遺産相続といった今日における法的次元の問題、すなわち刑法や民法、商法といった法律上の紛争などにも、適切な対応が迫られたわけです。そこで、メディナにおけるムハンマドは、特にこのように大きな共同体となったイスラムの集団を束ね、さながら宗教者だけにとどまらない役割を果たすことになったのです。この点こそ、彼をイエスや釈迦のような他の宗教的リーダーから際立たせる結果になったといえるでしょう。
そして、まさにムハンマドの中にあった多様な能力が開花します。統治、軍事、立法、司法、また、行政、調停外交、さらにあえて申しますと、教育や文化といったような要素まで、諸分野において、次々とその才能を開花させていくことになったわけです。
●軍事的リーダーという側面を強調するIS
そこで、ムハンマドの多面的な才能と多元的な役割を、どんな角度から考えるかによって、ムハンマドの個性、ひいては、イスラムとは何かというその性格をめぐる問題を解釈する道筋が変わってくるといえます。
人々の中には、宗教者ムハンマドの人間的な柔軟性、ヒューマニティーから見て、イスラムは歴史的に平和の宗教、平和の信仰であったと無条件に考える人もいます。
しかしながら、ムハンマドは、軍事には素人でありながら、先天的な感性と努力によって、軍事的リーダーともなったという点を強調し、その意味で、彼が米国のエイブラハム・リンカーン大統領のように、軍の最高指導者として軍人以上に卓越した才能を発揮したと考える面もあります。
こうした政治的な軍人という側面に引きずられたり、その軍人的な発言を重ねて見ていきますと、あたかもムハンマドの言行が、異教徒に対する戦争や殺害、処刑といったような面だけで強調されるような傾向も出てきます。今のイスラム過激派組織・イスラム国、いわゆるISの極端な議論には、こうしたムハンマドのミリタントな側面を強調し過ぎる面があります。
●ムハンマドの裁定だけが問題を解決できる
しかし、ムハンマドが啓示を受けた7世紀のアラビア半島、中でもメッカやメディナでは、商いの取引や遺産相続、女性の権利侵害といった面で、多くの不正が...