●法の前での平等を遵守したムハンマド
皆さん、こんにちは。
ムハンマドの厳しさについては、前回の講義で触れた通りでありますが、法の解釈や執行に当たって、ムハンマドが遵守していたことがあります。それは、法の前において人々、信者は全て平等であるという重要な原則であり、その原則を曲げなかったことであります。彼は、尊い人物であるのか卑しい人物であるのか、あるいは身分が高いのか低いのかによって人を差別することを極めて厳しくたしなめました。彼が法の前で同じように人に接したことは、特筆すべきことかと思います。
何度か出てきたクライシュ族という、預言者その人も生み出した名門の部族がありますが、この名門に属するある女性が盗みを働いたという、大変困った事件が起きました。彼女の一族は大変困惑したわけです。そこで、かつてイスラムが誕生する前のメッカやメディナでは当然であったように、有力者にとりなしを頼みます。そうした習慣があって、罪一等を減じてもらうということがよく行われました。つまり、名門や尊い人間にはそういう価値があるということなのであります。そこで、預言者ムハンマドにとりなしを頼んだのです。
しかし、ムハンマドは、部族の利益の代弁者でもなければ、地域の利害の代表者ではありませんでした。彼は、過去の有力者たちが、卑しい者たちには罰を科しながら、尊い者の罪を見逃すということをよく見てきました。そうした差別、裏表のある行為をあえてしたために、その過去の者たちは滅んだと断定したのです。
ここで、ムハンマドは有名な言葉を残しています。それは、「ファーティマがそれを行ったとしても、彼女の手を切るであろうに」という言葉です。その罪人は女性でありましたから、ファーティマになぞらえたのです。ファーティマとは、ムハンマドの愛する娘であり、彼のいとこで後に4代目のカリフになるアリーの妻のことです。窃盗とは、そもそもそのように罪が重いものだから、ファーティマがもしそういうことをやったとしても、自分は彼女の手を切るということで、差別はしない、すなわち、とりなしを拒否したということです。
●厳格さと柔軟性が併存するイスラムの法
サリカといいますが、窃盗はイスラムではすこぶる罪が重いのです。これは、クルアーン、さらに「ハディース」において、刑罰が固定されているという意味で固定刑(ハッド刑)と呼ばれており、それ以外に解釈しようがないというように、罪に対する罰が重い刑なのです。刑が固定されており、初犯においては右の手首を切ります。再犯においては左足首を切ります。そして、もし三犯を犯せば、左の手首、四犯で右の足首が切断されることになります。
そして、ここがイスラム、あるいはムハンマドの最も柔軟なところでありますが、もし自白をした場合でも、刑の執行までに自白したことを撤回することもできるのです。「いや、実は、自分は自白したけれども、あれは間違っていた」、あるいは「体を責められたから、つい苦しくて自白したんだ」というように自白を撤回することもできますし、あるいは裁判官に起訴される前に被害者が犯人を許すこともできたのです。すなわち、示談の要素を残していたということです。やはり重い刑ですから、そういうものはよほどでないと科さないわけです。ですから、そのように自白を撤回したりすることによって、刑の執行を延期する、あるいは無期限にそれを延期したりすることもありました。何といっても示談の余地を残して、裁判官に起訴される前に、そうした行為について関係者で折り合いをつけることができたのです。
このあたりに、イスラムとムハンマドのある種、柔軟な側面、弾力的な側面が発揮される余地を残しているというところを見ないといけません。一般的にこれが固定刑(ハッド刑)だということで厳しいことだけを強調するのは、ややバランスを欠くかと思われます。
●ムハンマドの一面を強調するのは解釈を誤る
いずれにしても、ムハンマドは、アッラーの定めた罰のことでとりなすのかと有力者たちをたしなめ、説教しました。尊い者と卑しい者を差別したから道を誤ったとする裁定は、まさにムハンマドならではのことであります。さすがに宗教から朝廷、司法から行政に至るまで、全ての領域でまず無理のない裁量権を発揮した人物、ムハンマドだけのことはあると言っても大過ないのではないかと思われます。
このように、ムハンマドは現代的な意味でも、相当にバランス感覚に富む人物であったといえますが、彼がある部分、ある行為において、極度に寛大な人物であり、あるいは極度に厳酷、苛烈な人物であったと、このような言い方を一方的に強調するのは、やはり歴史的実在としてのムハンマドの多面性を、かなり違う意味においてゆがめる、あるい...