自分の逆境を受け止められない人に対して、津崎氏が示唆するのは「できること・できないこと」の境界を明確にすること。一方、五十嵐氏は起きた「コト」から主語を外すこと、板東氏は東洋古来の「天譴説」を持ち出し、偶然がもたらす災厄に天子の徳である「仁」が有効視された経緯を語る。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「アサガオが枯れた」のを温暖化や政府のせいにすると?
―― ここでお聞きしたいのは、大人になっていろいろ悪知恵が身に付くことです。たぶん小学校のときであれば、「いや、俺が悪かった」とか「いやいや、これは悪くなかった」と考えるでしょうが、大人になるといろんな悪知恵が身についてきて、例えば「アサガオが枯れちゃった。これは温暖化のせいだ」とか「アサガオが枯れちゃった。これは政府の失策のせいで不景気がひどくて、枯れたんだ」。要するに「俺のせいではなく外部環境のせいだ」と考える人が多くなる気がするのです。それによって自分の苦しみなどを外に出してしまって、「自分の問題じゃない。こんな事象が起きたのは全て世の中が悪い」という不満が高まるようなケースもあり得ると思うのですが。
津崎 えっ、それでいいんじゃない?
五十嵐 えっ、駄目よ、それじゃ。
―― そこについては、どうでしょう。いいか悪いかだけ、教えていただければ。
津崎 駄目かなぁ。
五十嵐 えっ、駄目よ。だって、そんなことをする暇があったら。
津崎 うん、暇があったら?
五十嵐 暇があったらアサガオを買ってくるとか(笑)。それから、そんなに誰かを責める暇があったら、温暖化のために私が今できることって何だろうと考えて…。
津崎 ほら、そこだよ。つまりね、僕の言いたかったのはそれなの。
五十嵐 あ、そう?
津崎 つまり、自分ができることとできないことをきちんと分けるってことが、やっぱり究極的に重要でしょう。温暖化のせいにしたり、あるいは政府のせいにしたりっていう人の思いって、分析していくと結局、自分にできることとできないことの線引きの仕方の結果というところにたどり着く。アサガオが枯れたのは、温暖化という自分にはどうしようもできないことのせいでそうなってしまったんだけれど、自分のできることは何か。じゃあ、アサガオを買ってくる、と。
●「できること」「できないこと」を分ける
五十嵐 でも、ほら、そうして何か役に立つ?
津崎 そうして役に立つのは何かと言ったら、逆境を作り出してしまうような思いをコントロールできるようになるということ。
五十嵐 えっ、どういうこと?
津崎 つまり、自分がどうこうすることができること、自分がコントロールできることって、自分の思いだけじゃない。だけれども、地球が熱くな...